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“濁音”が、わからない

2016年(平成28年)12月20日。

私は『日赤医療センター』を退院。

ワンボックスカーのタクシーに車椅子のまま乗り込み、

『原宿リハビリテーション病院』に到着した。

 

 

リハビリは入院の翌日から始まった。

私には『日赤』同様、

作業療法士、理学療法士、言語聴覚療法士の3名のプロが付いた。

 

ただ、初期にどんなリハビリを行ったのか。

残念ながらよく覚えていない。

 

右手や右足のリハビリ・・・。

 

失われた短期記憶のおかげで

ほとんど思い出せない。

 

だけど言語は、『記録』が残っている。

よってリハビリ病院でも言語、

とくに“失語症”にまつわる事象(不思議?)が、やはりメインテーマとなっていく。

 

 

まず“日付”である。

“今日の日付”。

それから“名前”であり“住所”である。

これらはどうやら“失語症”のリハビリの基本なのだ。

 

担当となった言語聴覚療法士のUさんが、

私の目の前に用紙を出した。

そこには〈日付、名前、なまえ、住所〉とある。

約4週間、『日赤医療センター』で毎日書いてきた内容である。

しかも、“日付”の欄にはすでに書いてあるのだ。

〈平成〉と。

 

〈平成 年 月 日 曜日〉

穴埋め問題だ。

最後まで出てこなかった平成の“平”。

(やったー。書かなくていい)

 

楽勝だった。

名前も、住所も・・・。

 

もちろんヘタだ。

しかしそれぞれ書くスペースを決めたラインの上に、はみ出すことなく書けるのであった。

 

【写真_18】(クリックしてください)

 

「はい。いいですねぇ。じゃあこれをやってみましょう」

そう言ってUさんが出してきたのが、

『プリント』だった。

 

 

〈例にならって、次の漢字に仮名をつけてください〉

 

 例―自動車

   じどうしゃ

 

 

(あぁ、やはり小学生だ・・・)

 

例の下に12問。

靴。薬。鍵。坂。風邪。時計。山。財布。冷蔵庫。鳥。新聞。看護婦。

 

問題が作られたのはかなり古い、と見た。

だって看護婦だ。

(今なら看護師ですよ)

そう考えた。

ただ、口に出しては言わなかった。

いや、言えなかったのだ。

 

言えなかった。

頭のなかにあるイメージを伝えられない。

いや、イメージそのものが湧いてこない。

 

相変わらず私は失語症であった。

 

 

だけど漢字の読みはできる。

字はヘタだが仮名はつけられる。

12問。

ほら、完璧だ。

どうです?

(言えなかったが・・・)

 

【写真_19】(クリックしてください)

 

Uさんは笑顔で赤鉛筆を握った。

「えっ。どこか間違いでも・・・(これも言えてない)」

Uさんは答えに次々と丸をつけていった。

 

なんだ。○を付けるのか・・・。

全問正解(ですよねー)

と、思ったそのとき、

Uさんは1カ所だけちいさな直しをいれた。

 

鍵。

 

私は「がき」と書いていた。

 

 

【写真_20】(クリックしてください)

 

 

ちいさな直しだった。

 

私はなぜ「がき」と書いたのかわからなかった。

ま、単なるケアレスミスか。

そう思った。

だが

それはケアレスミスではなかった。

 

 

その日からUさんは“宿題”を出した。

『プリント』を毎日1枚。

部屋に戻ってからやる。

翌日の朝までにやる。

ひとりでやる。

これは“救急病院”ではなかったことだ。

 

その宿題で、

私は大きな“課題”と出会う。

 

リハビリ病院で、

最初にぶつかった“課題”。

それは『濁音』だった。

 

 

たとえば「水」である。

その読みを「み゛す」と書いてしまう。

 

「肉」は「にぐ」。

「玄関」は「げんがん」。

「階段」は「がいたん」。

 

あるいは「鏡」を「かかみ」。

「友達」を「ともたち」。

「手袋」は「てふくろ」。

「下着」を「したき」。

 

【写真_21】(クリックしてください)

 

決まった法則があるわけではない。

そのときの気分というか・・・。

 

しかしそれらは宿題の答えである。

見直せばわかるはず。

なのに、わからない。

 

さらに追い打ちをかける事態が発生する。

それは「病院」。

「びぅういん」と書いた。

本人(私)は大真面目である。

 

 

【写真_22】(クリックしてください)

 

 

さらに極めつけは「魚」。

宿題で丸をもらったのは「うお」である。

だが「お」の右上のテンがない。

あら。やっちまった。

ま、いいか。

Uさんも見てないようだ。

ごまかしてしまお、っと。

 

するとUさんは言うのだ。

「もうひとつ、呼び方がありますよね」

ニコニコしている。

(あ、そうですね。もちろん書けますよ)

私もニコニコしながら書いた。

 

「たかま」

 

Uさんの目の前である。

堂々と書いた。

「たかま」

ニコニコ・・・。

Uさんもニコニコしなから、

おもむろに赤鉛筆を握るのだった。

 

 

【写真_23】(クリックしてください)

 

 

衝撃だった。

 

「さかな」を「たかま」。

しかもその誤りに気づかない。

 

(オレの脳は、

じつはたいへんなことになっているのではないか)

 

そう思うと少しだけ、寒気がした。

 

【写真_24】(クリックしてください)

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