“襲撃”

カラスだ。

カラスの足が頭を直撃したのだ。

 

なぜ・・・?

と思った瞬間、再び羽音が。

カラスだ。

同じカラスが私に向かってきた。

 

「バッ」

私は再度、頭に衝撃を受けた。

 

なんで・・・?

私はパニックになった。

カラスに襲われている?

なんで・・・?

 

1度だけならず2度までも、同じカラスが向かってきた。

 

いや同じカラスなのか。

わからない。

もし別のカラスだったら。

カラスは集団で襲ってきていることになる。

 

私は反射的に立ち向かおうとした。

動く左手で杖を振り上げる。

木の枝に止まった(であろう)カラスは激しく鳴いている。

私は鳴き声のするあたりを睨みつける。

 

だが、その姿勢は長くはつづかなかった。

ふと気づくと、私の身体は不安定になっている。

振り上げた杖。視界も上げている。

ヤバい。

私は振り上げた杖を下ろした。下ろさざるを得なかった。

そうしないと“転倒”しそうだった。

視線も下ろした。

 

下ろす瞬間、人が見えた。

数人、見えた。

全員が、犬の散歩に来ていた人だった。

その数人がこちらを見ていた。

だが誰も加勢には来てくれない。

カラスに立ち向かおうとする人は現れない。

ま、当然だ。

みんな、どうすればいいのかわからないのだ。

 

私も、わからなかった。

私は、その場を立ち去るしかなかった。

ま、ありていに言えば、逃げた。

だって逃げるしかないではないか・・・

 

しかし・・・

その逃げ方が、なっていない。

っていうか、はっきり言って無様だ。

まず、走るなんてムリ。

早足もムリ。

歩くことさえ・・・

 

私は杖を身体の少し前について右足を半歩。

いや4分の1歩。

つづいて左足を4分の1歩。

それで両足が揃う。

再び杖と右足。

4分の1。

左足。

4分の1。

 

そうか・・・

私は思った。

これだ。この歩き方を見てカラスは襲ってきたのだ。

 

“あの人間、動きがヘンだぞ”

“どうやら動けないらしい”

“これなら反撃などできないな”

“じゃあちょっとイタズラしてみるか”

 

・・・なるほど、そうか。

って納得してる場合じゃない。

 

カラスは鳴きつづけている。

私は相変わらず4分の1歩の“逃走”だ。

とにかくこの“うま公園”を離れなきゃ。

 

3度目の“攻撃”は、なかった。

私はなんとか逃げおおせた(?)

 

いや、またいつ襲ってくるかわからない。

ていうか、なぜ襲われたんだ・・・?

たとえば犬の散歩をする女性ではなく、お年寄りでもなく、なぜ私?

私の歩き方?

それだけ?

 

相変わらず4分の1歩ずつの“逃走”をつづけながら考えた。

「もしかしてあのときのカラスだった、とか・・・」

 

私がカラスと“敵対”したのは、思い出す限り1回だ。

ゴミ収集所である。

駒沢公園の入り口にあるゴミ収集所で

可燃ゴミを食べ散らかすカラスを追い払った。

そんな記憶がある。

 

ただ、もう1年前、いやもっと前か。

しかも1回ではなく数回かも。

それをカラスは覚えていた?

今日の“襲撃”はその復讐・・・?

 

いろんなことを考えた。

ただ、すべては想像だ。

私には相手のカラスが特定できない。

だから動機は“謎”のままだ。

 

しかし“事実”は残る。

 

カラスが私を襲った。

しかも2度。

それに対し、私は何もできなかった。

しかもその場から逃げた。

逃げるしかなかった。

これが“事実”だ。

逃れようのない“事実”。

 

落ち込んだ。

 

“うま公園”を離れ、駒沢公園を歩いた。

カラスに襲われて、そのまま家に逃げ帰る。

その失態だけは免れたかった。

 

失態。

 

そう、失態だ。

人間としての失態・・・

 

ま、そこまで大袈裟ではない・・・

いや、大袈裟だ。

 

たとえば人の眼。

散歩の人。その人たちがどう思うか。

 

「身障者って、たいへんだな」

「ひとりで外に出るとあぶないのに」

「だれか一緒に出てくればいいのに」

「だれもそばにいないのかな」

「孤独だなあ」

って、うるさい!!!

 

あ、ごめんなさい。

ついコーフンしてしまって・・・(笑)

 

あ、でもそうか。

そういう気持ちになるんだ。

 

たとえば私と他人。

もっといえば障害者の私と

健常者のあなた。

あなたがどう思っているか、

ホントのところはわからない。

でも私はどんどん想像をふくらませていく。

もしかしてそう思ってるんじゃないか。

思ってるかもしれない。

いや、そう思ってる。

きっと思ってるはずだ。

 

あぶない、あぶない。

 

入院生活ではそんなことなかった。

なぜか。

それはすべてが“身内”だったからだ。

 

ケアスタッフもリハビリの先生も、

看護師さんもお見舞いの人たちも、

すべては“身内”。

もちろん入院患者も同じ。

同類相憐れむ“身内”。

 

でも退院するといきなり赤の他人の眼にさらされる。

いろんな立場、いろんな境遇、いろんな考えの人々の渦中に放り込まれる。

そのなかで不自由な私は自分の身を守らなくてはならない。

だから本能的に守りを固める。

そんな精神状態。

だから過剰反応してしまうのだ。

 

退院した。

自由になった。

それはすばらしいことだ。

 

入院中もけっして落ち込むことはなく、

投げやりにならず、前を向いて生きてきた。

お見舞いの人にもつねに明るく接し、笑顔で帰ってもらう。それを心がけてきた。

 

そう。

人間のなかではかなりの部分、

功を奏していた。

もちろんそれは退院してもずっとつづく、と思っていた。

つづけよう。そう思っていた。

しかし・・・

 

カラスは見抜いていた。