車椅子を、自力で

2017年(平成29年)1月。

年のはじめの1カ月。

その間に、私を取り巻く環境が大きく変わった(ような気がする)。

 

宿題は相変わらず漢字の読み方である。

しかしその量が違った。

A4一枚の『プリント』に15問。

表・裏で30問。それが2枚。計60問。

最初のころの4倍だ。

 

しかもその問題にも工夫があった。

たとえば・・・。

 

未来   難解    日曜   

○○○  ○ん○○  ○○よ○ 

日本史   洗面    婚約

○○ん○  ○ん○ん  ○ん○○

 

“みらい”を“みたい”と書いた。

“たかま(さかな)”と同じ類いのミスだ(くそっ)。

 

【写真_25】(クリックしてください)

 

 

他の5つも気にいらない。

だいたい○で文字数が決められているのが気にくわない。

しかも途中、何文字目かの文字があらかじめ決まっている。

これが悩むのだ。

 

たとえば「日曜」。

○○よ○

 

ふつうであれば「にちよう」である。

 

途中の「よ」は、

「にちよう」の「よ」。

そのほかには考えられない。

 

だけど・・・

 

『失語症』の私にはわからない。

 

○○よ○の「よ」が、

「にちよう」の「よ」だということが・・・

 

わからない。

 

○○よ○

 

わからないから見つめる。

見つめていると「よ」に引っ張られる。

不思議なことに

「よ」だけが脳に入ってくる。

「よ」だけがクローズアップされてくる。

 

「よ」「よ」「よ」「よ」「よ」・・・

 

脳の中でこだましている。

 

一方「日曜」だ。

「にちよう」。

それも読める。

 

で・・・

問題の上「日曜」と

下の「○○よ○」を見る。

なんども見る。

 

それぞれのコトバはわかる。

問題の意味も、わかる。

じゃあ書けるだろう・・・。

というわけにはいかないのが『失語症』なのだ。

 

「日曜」は「にちよう」と読んでいる。

だけどそれが「○○よ○」に当てはまらない。

「に」「ち」「よ」「う」と、

文字を分解することができない。

 

「日曜」は「にちよう」。

ひとつの流れというか、

かたまりとして認識してる感じ。

 

だから「よ」がどこにあるか、わからない。

 

日曜

○○よ○

 

こんな簡単な問題でもむずかしいのだ。

信じられないかも知れないが、

むずかしいのだ。

 

 

でもU先生は容赦しない。

さらに「むずかしい」宿題はつづく。

たとえば

 

達筆。突起。国旗。出発。徹底。失敗。

(『っ』のある読み方・「促音(そくおん)」の練習だ。)

 

社長。長所。終電。球場。上京。注入。

(『ゃ』『ゅ』『ょ』のある読み方・これは「拗音(ようおん)」)

 

数学。湯気。以後。外科。葉書。銀行。

(これはご存知、「濁音」・ちなみに濁音は1カ月たっても苦手だった)

 

 

つまり

『プリント』1枚ごとにカテゴリーが分かれている。

宿題がテーマごとに分かれている。

・・・なんて当時は気づかない。

とにかく目の前の問いに答えるだけだ。

しかし先生は、何らかの意図をもって宿題を出していたに違いない。

 

・・・いや、違う。

先生も当時の私をどう捉えたらいいのか、

試行錯誤の状態だったのではないか。

 

実は、私もそうだった。

私が、“私”を捉えるのに苦労していたのだ。

 

自分には今、何ができるのか。

何ができないのか。

 

いや・・・

そうではない。

あの当時は・・・そこまでクリアではなかった。

やはり目の前の宿題に、

目の前の先生の『授業』に答えるだけ。

つまり受け身だった。

 

だけどちょうど1月も終わろうとするころ、

私の中で何かが変わった。

あることが、できるようになった。

それは宿題の問いにうまく答えられること、ではなかった。

まったく別のこと・・・。

これができるようになったことで、

私の周囲のあらゆることが変化していった。

 

では何が変わったのか。

 

『意志』である。

 

『意志の表明』である。

 

 

私は会社の同僚に毎日、その日のリハビリの予定を送っていた。

 

リハビリの予定。

それは毎朝、決まる。

毎朝、その日の予定が発表される。

そこで私は看護師さんに頼んで、

発表の場まで連れて行ってもらう。

なぜなら当時は人に押してもらわないと

車椅子は動かせなかったからだ。

 

しかも、である。

看護師さんにその予定を書き写してもらう。

私は当時“自分でメモをとる”ことさえできなかった。

 

それを何とか、ひとりでできないか。

つまり独力で車椅子を動かせないか。

そして予定は自分で“iPhone”に入力できないか。

そう思い始めた。

 

看護師さんは忙しかった。

私のような患者がフロアにたくさんいて、

朝食が終わると部屋まで連れ帰ってくれる。

 

もちろん患者の数が多いため、

部屋に帰るのも順番待ちだ。

私の場合はそこに“リハビリの予定確認”が加わる。

 

最初のころはそれが当たり前だと思っていた。

看護師さんに頼るのも、

順番を待つのも。

(だってできないんだもん)

 

しかしそれがだんだんイヤになる。

なにより申し訳なく思い始める。

なんとか自分でできないか。

 

その途端、私の前に“情報”が現れた。

『テスト』である。

 

病院にはいくつもの『テスト』があった。

その事実に、ようやく気づいた。

 

たとえば“車椅子の自力歩行”。

つまり看護師さんの助けを借りずに

車椅子を自力で動かすための『テスト』。

 

あ、そうか。そうなんだ。

車椅子を動かすには『テスト』を受ける。

他のテーマでも同じだ。

やりたいことがあったら自ら望んで『テスト』を受ける。

それでいいんだ。

 

『テスト』は5回。

同じ項目を5名のスタッフ、看護師さんなどにチェックしてもらう。

それが病院の“システム”だった。

 

患者は、まず挑戦する旨を看護師さんに表明する。

私は“表明”した。

はじめて、自らの『意志』を表現した。

 

「車椅子を自力で動かしたい」

 

その気持ちを表現すること。

『意志』を表明すること。

それも私にとっては重要な、“脳”のリハビリだった。

 

2017年(平成29年)1月28日。

私は車椅子の“自由”を獲得した。

 

5回の『テスト』に合格し、

車椅子の車輪を動かす許可を得た。

 

動く左手で、左側の車輪を動かす。

それでも車椅子は、前に進むのだ。

 

看護師さんに押してもらわなくても車椅子を動かせる。

自力で動かせる。

 

その達成感。

自在に動き回れる快感・・・。

 

その翌日のことである。

私はあの『五十音表』からも、解放されるのであった。