脳が
どこかに・・・
視界は1・5メートル
初めて“街”を歩いたのは
2017年(平成29年)4月23日のことである。
玄関からつづくスロープを(怖がりながら)下り、さらにけっこう長い階段を下りると車道に出る。
“街”はそこから始まる。
私はそのころ、いくつかの“テスト”に合格し、“院内歩行の許可”を獲得していた。
車椅子を使うのは、夜間のトイレのみ。
それもスタッフの介助は不要。
ということはトイレに“ひとり”で行ける!
(夜間の安全=転倒防止のため車椅子は使うが・・・それでも“ひとり”だ)
この解放感。
もちろん昼間はトイレにも“ひとり”で
“歩いて”行ける。
杖は必須だけど、介助はなし。
つまり私は
昼間、
自由に、
ひとりで、
院内すべてを、
歩き回れることになった。
ひとりで歩く私を見た看護師さんやスタッフの皆さんが、
「すごぉい」「やったね」と集まってきてくれた。
みな「おめでとうございます」と喜んでくれた。
その誇らしい日が4月19日。
それから4日後である。
私は“街”に出た。
もちろんH先生と一緒に、である。
(病院の外に出るのは、退院までH先生と一緒であった)
すでに私は何度もスロープを下り、上った。
起伏のある庭園を歩いた。
長い階段を、何度も往復した。
だから“街”も、その延長線上にある。
そう思っていた。
私は“訓練”を重ねた。
スロープも、階段も長かったし、庭の起伏も・・・。
その訓練中、気づいたことがある。
それは「下りは恐怖だが、上りは楽だ」。
上りは、比較的楽だった。
階段も、スロープも、庭の起伏も。
上っていくのは楽だった。
なぜか。
身体が前傾のまま、最後まで通せるからだ。
足で、自分の身体を支えられるからだ。
その安心感。
ところが下りだとそうはいかない。
前傾姿勢がとれない。
足が身体を支える感覚が貧弱だ。
どうしても転びそうになってしまう。
よって「下りは恐怖だが、上りは楽だ」。
その教訓を携えて、私は“街”に出た。
最初はいきなり“車道”である。
病院の前を走る車道。
これを渡って狭い歩道へ。
これがまたスロープであった。
車道は街へ向かって下っていた。
幸い、車道にはクルマがいなかった。
あ、ちなみに信号はなく、横断歩道もない。
それくらいクルマが通らない道なのだ。
車道をなんとか渡る。
車道の端の“歩道”にたどり着く。
車道が下ってるということは
当然、歩道も下っている。
その“下り”が、新たな問題を突きつけた。
下りといえば
病院の玄関からつづくスロープ。
それは何度も挑戦し、克服していた。
“自信”といえるかといえば、心許なかったが
“経験”は積んだ。
だから“歩道”のスロープもなんとか・・・。
しかし、甘かった。
“歩道のスロープ”は
病院の玄関から延びるスロープのように一定の勾配で下りていくのではなく、
緩急がある。
もっといえば凸凹なのだ。
「そうか。そうだよな。道って凸凹だよな。でもこんなに凸凹だっけ?」
病院の、リハビリ用に整えられた“道”とはまったく異なる道。
それが、病院のすぐ目の前から広がっていた。
狭い歩道をなんとか歩く。
ときおり人と行き交う。
そのたびに私は止まって道を空ける。
人が通った後、再び歩き出す。
視界は道路上の約1・5メートル。
それ以上は
目を上げられない。
顔も上げられない。
なぜか。
麻痺は首にもある。
以前のように前後左右には動かせない。
私の首は、ただ前方を向いている。
後ろを振り返ることなんてできない。
だから前方1・5メートル・・・。
というか、
1・5メートル前後の道を“見る”のが精一杯なのだ。
“道を見る”。
そこにある凸凹。
石。
水たまり。
そして傾き。
そうなのだ。
道は傾いている。
スロープは、確かに道の傾きだ。
だがそれとは別に、道は傾いているのだ。
細かい話だ。
凸凹とどう違うのかと聞かれると心許ない。
だが凸凹とは別に、
また大きなスロープとは別に、
道は微妙に傾いている。
それは装具を付けた足で、
杖をつきながら歩くことで実感する。
そしてその傾きが、
じつは転倒の危険をもたらすことがあるのだ。
病院の“道(通路)”は、人工的だ。
少しの傾きも、凸凹も、ましてや段差もない。
それは院内の庭園でもそうだ。
確かに高低差はある。
だけど上りと下りがはっきりしているし、
視覚的にも“見え”る。
だから患者も覚悟する。
「ここは上りだ。ちょっと楽」
「ここから下りだ。気をつけろ」
しかし街の“道”は違う。
次に踏み出す一歩がどうなのか。
どんな“道”なのか。
どこに“危険”が潜んでいるのか・・・。
いや“道”は道である。
歩道はちょっと狭いけど、
電柱もあるけど、
少し歩けば街に出られる。
まぁ時間的には、たとえば3分弱。
それが普通の感覚だ。
私も、そうだった。
そしてその3分弱の間でも、考えることはいっぱいあった。
以前の私はいつの間にか道を下り、
いつの間にか街を歩いた。
道の凸凹や傾斜など考えたこともなかった。
無意識のうちに足は動き、
無意識のうちに脳は考えた。
それが当たり前だと思って生きてきた。
半身麻痺になってから、
考えることは激減した。
「脳が弱ってるから」
(と自分で自分に言い訳して)
私は考えることをやめた。
それより足をどう動かすか。
手はどうすれば動くのか。
しゃべりはどうやったら回復するか・・・。
あるいは
前に進むために、右足を前に出す。
そのときの道の様子は。
凸凹はどうだ。
傾きはどっちだ。
そうだ。
考えることはいっぱいある・・・。
突然、目の前の視界が変わった。
わずか1・5メートルの視野でも、
それはわかった。
と同時にクルマの騒音。
カフェから聞こえる音楽。
病院とはまったく異なる喧噪。
そこは“原宿”だった。