脳が
どこかに・・・
味噌ラーメン、大盛りで
すべてを奪う・・・
ま、ちょっと盛りすぎ。
でも体力の衰えは実際のところ恐怖だった。
もうすぐ60だし・・・
あとは衰えるばかりだ・・・
って、冗談じゃない。
まだまだイケる。
まだまだやりたいことがある。
寝たきりなんてなってたまるか・・・
ってんで、歩くし、筋トレもするし。
“巻き爪”?
しょうがないなぁ、付き合っていこう・・・
退院日が近づいてきた。
懸案は
(1)巻き爪
(2)自宅の手すり
そうだ。
手すり・・・
次男がやってきたのは、
退院の3日前だった。
「今日から工事、始まったから・・・」
「えっ? 今日って。3日後には退院だぜ」
「うん。明日には終わるって」
つまり、退院の前日。
だいじょうぶかなぁ。
「うん。だいじょうぶ」
次男は笑って言った。
2017年6月16日 金曜日。
いよいよ退院である。
お世話になったリハビリの先生方、看護師さん、スタッフの皆さんが続々と部屋にやってきた。
そして理学療法士のHさんと、言語聴覚士のUさんである。
この2人には特にお世話になった。
Hさんは最後まで心配していた。
自宅の手すりのことを。
私は「だいじょうぶ・・・って、息子が言ってます」。
なんとも頼りない言葉である。
だが、私としては息子を信じるしかない。
荷物をまとめ、私服に着替えた。
Gパンとポロシャツ。
18㎏(!)も痩せたため、Gパンはブカブカ。
身元引受人であるセイファートの長谷川社長が来てくれた。
次男は・・・遅刻である。
みなさんにあいさつをして、退院した。
長谷川さんのクルマに乗り、セイファートへ。
次男とは会社で合流した。
ビルの4階に上がる。
するとそこは社員でいっぱいだった。
Fさんが花束を用意していた。
失語症の私は、うまくお礼が言えない。
代わりに次男がお礼の言葉を述べた。
(へぇー、突然言われて、しかも人前でしゃべれるんだ)
私が20歳のころはどうだったか・・・
まぁ、ムリだ。
絶対、ムリ。
私は初めて(!)次男のことを誇らしく思った。
会社から、その次男が運転する私のクルマで家に帰った。
玄関に上がる階段には、両側にしっかりと手すりが付いていた。
家の中の階段にも手すり。
完璧だった。
しかも工事費はかなり安くなっていた。
さて、その日の昼ごはんである。
私は次男の運転で、駒沢の、ある場所へ連れていってもらった。
次男は用事があるからと言って私を玉川通りで降ろした。
午前11時半。
私はその店の入り口を開けた。
そう。“駒沢ひろの亭”だ。
思えば倒れて約7カ月。
この店のことを思い出さないことはなかった。
“シャバ(?)”に出たらまずひろの亭へ行く。
そのために箸の練習もした。
完璧ではないが、先割れスプーンは頼まなくてよさそうだ。
まず奥さんのゆかさんが驚いた。
同時に店主のひろさんも。
「こんにちは〜」
失語症でもあいさつは何とかできる。
もちろん笑顔だ。
顔の右側はちょっと不自由だが・・・
「味噌ラーメン、ください。あ、大盛りで・・・」
言えた。
これが“夢”のひとつだったのだ。
大盛り。
ま、病院ではオーダーできない。
だから18㎏も体重が減ったのだ。
さぁ食べるぞ・・・
ラーメンが目の前に置かれた。
私は箸をとった。
割り箸である。
あ、そうか。
割り箸・・・
病院の箸は割り箸ではなかった。
左手1本で、割り箸は初体験である。
でも私は悩むことなく行動した。
左手で割り箸を持ち、歯を使って割る。
歯に挟んで、左手で引っ張って割るのだ。
以後、“歯”は私の大きな力となった。
さてラーメンである。
箸の使い方は、うまくいかなかった。
苦労した。
でも、うれしかった。
ひろの亭のラーメンが目の前にある。
しかも大盛り味噌ラーメンと、私は“格闘”している・・・
うれしかった。
実はその日の夜、私はひろの亭から招待されていた。
その日は“貸し切り”で、
夜には常連さんと一緒にひろの亭が私の退院を祝ってくれることになっていた。
だが、私は待てなかった。
まず昼間。
ひろの亭に行った。
もちろん夜も行く。
私は午後2時に“お客さん”を迎えることになっていた。
ケアマネジャー、世田谷区の地域包括支援センターの方、訪問介護の方、福祉施設の方などが一堂に会し、今後のケアについての話し合いが行われるのだ。
その場で告げられたこと。
それは“介護保険制度”により、
リハビリが今後、自宅で(!)受けられる、と。
しかも週に3回(!!!)。
これは何よりありがたかった。
夜。
私は歩いてひろの亭に向かった。
セイファートの長谷川社長と奥さん。
“ライン”で毎朝『本日の業務予定』を送った総務人事部長・Fさん。
倒れた現場にいて私を救ってくれた編集部のTさんも、駒沢に来てくれた。