脳が
どこかに・・・
“記憶”によれば・・・
転倒した。
しかもエスカレーターの上で・・・
焦った。
でもパニックにはならなかった。
それよりも何とかここを脱しなければ・・・
パニックになってるヒマはなかった。
私は意外に冷静だった(ような気がする)。
しかも時間は
(なぜかはわからないが)
普段よりゆっくり流れていた。
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“記憶”というものがどういう仕組みになっているのか。
私にはわからない。
しかも私は“脳”の病気だ。
脳が弱っている男が、“記憶”について書こうとしている。
それはそれで大胆な試みだ。
いや無謀といってもいい。
だが、私は書く。
『文章のリハビリ』というエクスキューズをこっそり忍ばせて、無謀にも書く。
たとえばこの文章を書いている今日
2019年4月29日。
その時点で“記憶”を呼んでみる。
すると当時の行動がよみがえってくる。
だが、“断片”だ。
断片しか思い出せない。
しかも“天から眺める俯瞰”が時折り混ざっている。
でも、ま、“幽体離脱”などあり得ない。
ということは“記憶”と“想像”、
そして“創造(?)”が
折り重なるようにして脳に蓄積されているということだ。
それを前提に、書く。
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転倒したとき、
脳の中にあったのは
“ヤバい”という気持ちと
“原状復帰”への強い思いだ。
そのふたつの気持ちを脳の中に共存させながら、私はさっそく行動を始める。
まずは左手の自由を確保すること。
それがないと私は立ち上がれない。
しかし左手は依然として“手すり”の上。
しかもその“手すり”
動きが階段より微妙に速い。
つまり身体よりも左手のほうが速く上っていく。
つまり“手すり”をつかんでいると、身体が遅れていく。
左手に身体がぶら下がっている状態なのだ。
しかも時間が経つごとにその差が開いていく。
簡単に考えれば
まず“手すり”から左手を離す。
そのうえで体制を立て直す。
しかし“手すり”をつかむ左手は、“原状復帰”のためのキーポイント。
つかまっていないと立ち上がれない。
さて、どうする。
私は判断した。
離そう、と。
“手すり”からいったん左手を離す。
その間、0・3秒(きっとウソ)。
離した。
途端に身体が自由に動くようになった。
(ま、あたりまえですね、スミマセン)
左手を使って身体の向きを変える。
尻を階段に乗せ、今までとは逆向きになる。
つまりそれまでは階段の方を向いていた顔の向きが、広い天井に向けられる。
すると左足が元の場所に収まった。
同時に右足も身体にくっついてくる。
その間、0・6秒(これもウソだ)。
私は動く階段
(それを普通“エスカレーター”と言う)
に座った状態になった。
その時、私は何をしたのか。
通常であればすぐに左手をついて左足で立ち上がる。
エスカレーターの上だから、もちろん不安定だ。
だから左手で再度、手すりをつかみ、
細心の注意を払って立ち上がる・・・
だがその前に、私にはやることがあった。
エスカレーターの終わりは近づいてくる。
できるだけ早い立て直しが必要だ。
にもかかわらず私がやったこととは何か。
“後続者の確認”であった。
退院後、私の態度はかなり極端になった。
道を歩くのは左端。
自転車が正面から来ると止まって、
自転車に(!)危険が及ばないようによける。
あるいは、人(健常者)と共に歩くことを敬遠する。
なぜなら歩くスピードが異なるから。
一緒に歩くと同行者に迷惑をかける。
だから「先に行ってください」。
私にとって、街を歩くことは「すみません」の連続だった。
「ごめんなさい」「すみません」。
そして「ありがとう」。
その3つの言葉が不可欠だった。
そんな私が、である。
エスカレーターで人に迷惑をかける。
ましてや転倒するなんてあり得ない。
考えられない。
そこで私は、自由になった視界の中に
“私が迷惑をかけている人”、
あるいは
“私を助けようとしている人”を探した。
真っ先に探した。
もしそんなひとがいれば、「すみません」である。
「ごめんなさい」である。
そして「ありがとうございます」。
いなかった。
運良く後続の人は、いなかった。
私はほっと胸をなで下ろした。
その間、0・1秒(ウソつき)。
私はさっそく原状復帰を試みた・・・
エスカレーターについて長々と書いてきた。
しかも後半は退院後の話だ。
でも
そもそもの端緒は2017年5月30日。
退院まであと半月。
そこに戻ろう。
私は、恵比寿駅から埼京線に乗って“渋谷駅・新南口”に到着した。
改札の前後で計3本のエスカレーターを
(Hさんの助力もあって)無難にこなした私は、いよいよ“会社”の前に立った。
「ここです」
私はHさんに告げた。
出社しなくなって半年。
そのたたずまいは妙に遠く思えた。
「というわけで・・・」
そう言って病院に帰ろうとした。
しかしHさんは意外なことを言うのだ。
「行ってみましょう」
「えっ?」
「会社に行ってみましょう」
「えっ? いや、そんな・・・」
私は思った。
「マズい」と。
もしだれかに会ったりするとマズい。
だって・・・
“街を歩くとき”と同じ感覚だった。
「すみません」「ごめんなさい」
しかも急に来て、みんなに迷惑かけて、仕事中なのに、いそがしいのに・・・
だが一方で、こんな考えもあった。
「もしかしたらFさんは待ってたりするかもしれない・・・」
総務人事部のFさんには相変わらず“本日の予定”を送っていた。
《退院まで18日。
14・40〜16・40
この2時間で、会社出勤のシミュレーションです。会社の前に立ちます》
でも、会社に行くとは書いてないし・・・
困ったなぁ。
だがHさんはもう行く気満々である。
Hさんは戸惑う私の背中を
文字通り、押すのであった。