脳が
どこかに・・・
“お見舞い”という、準備
目の前に9階建てのビルがあった。
その1、2階と4階に“セイファート”はある。
私にとっては約半年ぶりの“再会”だった。
ビルを前にして最初に感じたこと。
それは「遠くなったなぁ」。
そう。
会社はなんとなく遠い存在になっていた。
なぜだろう・・・
深く考えているヒマはなかった。
それより「早く帰ろう」「病院に帰ろう」である。
こんなところで、もし社員に会ったら最悪だ・・・
私には“準備”ができていなかった。
“準備”。
それは「会社の人たちと会う」こと。
お見舞いに来てくれること。
それは単純にうれしかった。
特に身体が徐々に動くようになってからは、
その経過を共有できることが喜びだった。
たとえば寝たきりから車椅子で動けるようになる。
それがやがて車椅子なしで歩けるようになる。
あるいはコトバがすこし出てくる。
それがやがて、時間はかかるもののコミュニケーションへと変貌する。
そうしたひとつひとつを人と共有する。
それは喜びだった。
だがそれは時間をかけた“準備”があったから・・・
お見舞いきてくる人は何人もいた。
その中にはなんども来てくれる人もいた。
その人たちと、私は“準備”をした。
“準備”をしてきた。
いや私だけではない。
なんども来てくれる人と一緒に
“私たち”は準備をしてきた。
それは「ショック」を受けない“準備”。
たとえば入院初期のころ。
救急病院で、まだ寝たきりのころ。
お見舞いに来てくれた人にはずいぶん失礼なことをした。
コトバも出ず、身体も動かせなかった私は、
まだ“準備”ができていなかった。
(何も答えられないからそろそろ)
「帰る?」
(このままいても時間が持たないし)
「帰ったら?」
いや、お見舞いはうれしいのだ。
ほんとうにうれしい。
だけど私は何もできない。
ただベッドに寝たきりだ。
質問に答えることもままならない。
ただ布団から顔だけ出して寝ている男。
お見舞いの人はその様子を“見る”だけだ。
それでは間が持たないだろう。
そう思う。
でもそれを言い表すことはできない。
だから最低限、いまコトバにできることを発してしまう。
「帰ったら?」
ま、失礼である。
失礼極まりない。
(お見舞いに来てくれた方、スミマセン)
ホントは言いたいのだ。
ちゃんと感謝していることを。
だけど言えない。
言葉が出てこない。
“寝たきりで言葉も出ない男”。
客観的に見ればそうである。
“この人はこれからどうするんだろう”。
哀れで悲しく、寂しくて暗い。
明るい未来なんかまず考えられない。
みなさん、例外なくそう思ったはずだ。
だけど本人はそう思っていない。
本人だけは、思ってない。
“治る”と思っている。
いつか治る。
きっと治る。
むろんいまはできない。
いろんなことができない。
ただ、いまが底。
これから少しずつ治っていく。
そのプロセスがいま
始まったばかりだ・・・
一見すると私は“動けない”し
“しゃべれない”。
だから人として“何もできない”と思われる。
しかし私の脳は、
(出血してないところは)
働いていたりするのだ。
だからこそ私の“悩み”は深い。
ホントは動けるし、しゃべれる。
以前と同じように・・・
ただ、ちょっといま身体の機能が狂っている。
動かそうとしても動かない。
しゃべろうとしてもしゃべれない。
それだけなのに・・・
人はなんで大袈裟にするんだ・・・
“ギャップ”である。
私の意識と周囲の人の間には“ギャップ”がある。
その“ギャップ”を埋めるために、“準備”があるのだ。
入院は、その“準備”のための時間をつくってくれるのかも知れない。
お見舞いに来てくれた人は、その“準備”を私と共有している。
“右半身麻痺”と“失語症”という現実と、一緒に向き合ってくれる。
だけど会社の人たちの多くは、その“準備”をしていない。
だから私は「会う」のが怖い・・・
ちょっと待ってくれ・・・!
読者のみなさんから、そんな疑問がきこえる。
私も書いていて思うのだ。
「じゃあ聞くが、お見舞いに来る人と“最初に会う”のは怖くなかったのかい?」
う〜ん
それは・・・
きっとこうだ。
お見舞いの人は自ら進んで“見に”きている。
“見てみよう”という意志がある。
だから少々の“ショック”には耐えられる。
だけど会社の人はどうか。
特にいまは仕事中。
“突然の訪問”である。
やはり“準備”はできていない。
だから、怖いのだ。
ふ〜
ま、いろんなことを書いたが、
私は未だ会社の前である(スミマセン)。
Hさんは「行きましょう」と促す。
だけでなく背中を押す。
だけど私の中には“怖さ”がある。
と、そのとき、私は気づいた。
それよりもはるかに大きな怖さ。
精神面ではなく、物理的な壁。
私の前に立ちはだかっている障壁・・・
それは“階段”であった。