脳が
どこかに・・・
湧いてくる“階段”
2017年5月30日(火曜日)。
理学療法士のHさんと私は都営バスで渋谷駅東口まで行き、交差点を渡ってゆっくりと渋谷駅構内に入った。
ICカードで改札を通る。
階段を上り、ホームへ。
“山手線内回り”のホームだ。
計画ではまず“渋谷”から山手線で“恵比寿”に向かう。
“恵比寿”でいったん改札を出て、再び入場。
これは私の、もうひとつのバスルートに合わせた行動だ。
“駒沢”から“恵比寿”までバスで移動する。
そのためのシミュレーション。
その後“埼京線”
(または“湘南新宿ライン”)で渋谷へ。
そうすると“渋谷駅・新南口”が近い。
会社は“新南口”から歩いて1分の距離だ。
さっそく私たちは、まず渋谷駅から山手線に挑んだ。
そう。挑んだ。
初めての“電車”に、挑むのである。
緊張した。
まずバスと違って電車は“運転手”が見えない。
私からは見えない。
ということは運転手からも私は見えない。
だから私がちゃんと乗れたかどうか
確認してもらえない。
バスは運転手が見ている。
私を見てくれている。
乗ったかどうか、確認している。
確認してから出入り口のドアを閉める。
だが電車は違う。
ドアはオートマチックに開いて、
オートマチックに閉まる。
もちろん車掌さんが乗ったかどうか確認してくれる。
と、思ってる。
そう信じてる。
だけど・・・
乗る途中でドアが閉まったら・・・
それが“電車”の、最大のリスクだと思っていた。
しかしいろいろ考える間もなく電車はホームにすべり込んでくる。
しかも恐ろしいほどのスピードで・・・
えっ、こんなに速かったっけ。
なんて思ってるうちにもう電車は停まろうとしている。
いや、停まった。
すぐにドアが開く。
人が降りてくる。
あっ、乗らなきゃ。
さて、だいじょうぶか。
でも電車は乗るとき“上り”がないから。
ホームと電車はフラットだもんね。
バスとは違うもんね。
そういう意味ではラクだよね。
そう思って下を見る。
視界はいつもの1・5メートル。
ん?
えっ?
ちょっと待てよ。
こんなに電車って離れてたっけ?
ホームと電車が予想外に離れてる。
これは厳しいぞ。
でも乗らなきゃ。
えっと、どっちの足からだっけ。
そうだ。左から。
まず左手でドアの内側の手すりをつかんで
エイっ。
は〜。
息が上がってる。
けっこうたいへんだ。
電車に乗るのはたいへんだ。
でも乗れた。
最後、どうやって乗ったかはわからないけど、乗れた。
私は乗るときにつかまった手すりを持ったまま、車内に立っていた。
Hさんは「座りましょう」と言った。
ちょうど手すりのそばの“優先席”が空いている。
だけど私は座らなかった。
理由は2つ。
手すりにつかまった左手の手のひらが汗びっしょりで、しかも固まってしまってよく動かなかったから。
それに恵比寿までは一駅。
すぐに着く。
いったん座ると、こんどは立つのに時間がかかる。
その間にドアが閉まって降りられない、なんてことは避けたいから。
しかし・・・と私は思っていた。
それにしても電車とホームの間が離れている。
これは降りるときも気をつけなきゃ。
そう思ってるうちに“恵比寿”である。
ドアが開く。
左足を踏み出す。
ホームは“渋谷”ほど離れてない。
右足はついてくる。
降りた。
降りられた。
と思ったら次の試練。
“エスカレーター”である。
山手線に乗り換える場合、恵比寿駅は簡単だ。
内回りも外回りも同じホーム。
だからすぐに乗り換えられる。
だが、私は“埼京線”に乗りたいのだ。
じゃないと“新南口”からは遠くなる。
つまり“会社”からも遠くなる。
だからホームを変えなきゃいけない。
そのためにはエスカレーターに乗る。
まあ、いい機会だ。
エスカレーター。
乗ってみようじゃないか。
だいじょうぶ。
階段と変わらないさ。
どこが違うというんだ。
ねぇHさん・・・
そう思いながらも、私はだんだん緊張してくる。
目の前には上りのエスカレーター。
「えっと、左足ですよね」
私はHさんに尋ねる。
「そうです。左足です」
顔がこわばってくる。
だって・・・あ、どうぞ。
お先にどうぞ・・・
私は後続の人たちを先に行かせる。
いったん上り口の脇によける。
そして次々と自動で湧いてくる“階段”を見つめていた。
えっと・・・
まず左足を湧いてくる階段に乗せるんだ。
と同時に右足も乗せる。
はい。わかってる。
わかってますとも。
上りはラクだ。
下りは・・・
いやこれは上りだ。
ラクだ。
ラクなはずだ。
えい、乗っちゃえ。
って、ちょっと待て。
まず左手で・・・
まずい。
左手が固定できない。
だって手すりがどんどん上っていくではないか。
階段を上るときには欠かせない手すりも、
湧いてくる階段と一緒に上っていく。
ということは、左手と左足を同時に・・・
いやむずかしい。
しかもその一瞬あとには右足もついてこないといけない。
ますます緊張が高まる。
でも、このまま乗れないとなったらリハビリにならない。
てゆーか、私は一生、エスカレーターには乗れない。
「だいじょうぶですか?」とHさん。
私は覚悟を決めた。
左手と左足を同時に乗せて、右足を・・・
最後はぴょんと跳ぶように・・・
おぉ
乗れた。
てゆーか楽勝だった。
一歩踏み出せば、ラクなのだ。
ただ、その最初の一歩が・・・
あ、いや、待てよ、
どうしよう。
降りることは考えてなかった。
どうするんだ。
焦った。
だがHさんに聞こうとした瞬間、
エスカレーターの階段は急速にその“段”を消滅させ、フラットになっていくではないか。
そうか。
そうだ。そうだよな。
湧き出る階段はやがて沈んでゆく。
それがエスカレーターだ。
だったらそのまま降りられる・・・
(はずだった)