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歩道橋には“手すり”がある

理学療法士のHさんは、

私を病院の外へと連れ出す機会を増やした。

 

病院の外へ出ることで、私の対応力を測っている。

退院後の、実生活への対応力。

さまざまな事象に対応する力。

それを“経験”、

あるいは“疑似体験”を通じて学んでいく。

そんなリハビリだと、私は理解した。

 

 

たとえばある日、

Hさんは私を“歩道橋”の前に連れていき、こう言うのである。

「のぼってみましょう」

 

 

階段はなんども練習した。

リハビリ・ルームでも。

病院の階段でも。

また、外に出ると庭から街まで下りる階段。

これはけっこう長い。

50段以上(?)

だから階段の上り下りには慣れていた。

 

しかし、歩道橋である。

病院内の階段ではない。

街の歩道橋。

ふつうにいろんな人が行き交う歩道橋である。

 

私は緊張した。

 

 

まず第一に、

この歩道橋には“手すり”があるのか。

そこを確認する。

 

あった。

しかも2段になっている。

たぶん大人用と子ども用の感じで、2段。

 

うん。手すりがあれば上れる。

 

私は人が来ないのを確かめて

1段目に取りかかった。

 

 

 

歩道橋には、手すりが付いている。

まず100%、かならず付いている。

その事実を、病気する前には知らなかった。

 

歩道橋はふつうに上って、ふつうに下りる。

それだけだ。

そこに手すりが付いてるかなんて、

意識したことはなかった。

 

しかし身体が不自由になると、

普段なにげなく通り過ぎる“街”にも違った面が見えてくる。

 

たとえば、手すり。

 

階段を上るときは、かならず手すりが必要になる・・・

そう思って歩道橋を見ると、

そこには手すりが付いているのだ。

 

 

けっして目立つことはない。

健常者の生活に邪魔になることもない。

だが、必要とするときに、手すりはちゃんとある。

それだけで、この国に感謝する(あ、政権は別ですよ)。

手すりを付けてくれた渋谷区や、東京都、

あるいは国土交通省に感謝する。

歩道橋に手すりを付けた設計者に感謝する。

仕様を決めた担当者に感謝する。

工事をしてくれた現場の人にも感謝する。

そんな気になるのだ。

 

 

さて、歩道橋である。

手すりを左手で持ち、左足を上げる。

上がったら、動かない右足を引っ張り上げる。

それで1段(ふーっ)。

 

さて、2段目。

その前に、視界を上げる。

顔を上げて階段の上まで見て、人が来てないのを確かめて・・・

よし、2段目だ。

 

手すりを上部に持ち替える。

左手には杖があるため

それを持ったまま上に動かす。

 

次に視線を落として階段に集中し、

左足を上げる・・・

 

時間がかかるのだ。

その時間を、Hさんは待ってくれる。

「早く」なんて絶対に言わない。

「ほら、頑張って」とかも言わない。

マイペースで上る私に任せてくれる。

一歩下の階段から、見守ってくれる。

 

そのころにはHさんへの信頼がますます大きくなっていた。

もし何か間違った動きをしたら、かならず助けてくれる。

上るときには、つねに下で支えてくれる。

華奢な身体でも、きっと支えてくれる。

だから私は階段を上れる。

階段だけではない。

日常のリハビリ、すべてに挑んでいける。

 

ま、それが彼女の仕事だ、と言ってしまえばそうなのだが・・・

やはり患者にとっては頼りになる存在である。

 

 

途中、何人かとすれ違った。

私は左側にピッタリくっついてやり過ごす。

 

人が通り過ぎると、“作業”開始。

また左足から上り始める。

 

1段ずつ。1段ずつ。

そしてついに登頂(?)成功。

 

あぁ、いい眺めだ・・・

って、ひたっている場合じゃない。

ほんとうにたいへんなのはこの後だ。

 

 

みなさん覚えているだろうか。

「上ったら下りなきゃいけない」

半身麻痺の患者にとっては、

上りよりも下りのほうがたいへんなのだ。

 

 

Hさんは何も言わない。

ただ1段下でニコニコしている。

 

まぁそうですね。

下りなきゃいけないんですね・・・

 

私は手すりにつかまり、

今度は右足を先に下へおろした。

 

下りるときは右足から。

動かない右足から。

そーっと・・・

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