救急病院からリハビリ病院へ

『プリント』は、それから毎日つづいた。

 

内容は5点のイラストと、正しい名前とを結ぶ。

結べたら正しい名前をそれぞれ3つずつ書く。

 

まあ、小学生の宿題みたいなものだ。

と、思っていた。

だけどそれは決して小学生のための『プリント』ではなかった。

 

たとえば、“麻雀をするおじさん”のイラスト。

ごていねいにタバコをくわえていたりする。

 

【写真_12】(クリックしてください)

 

 

あるいは“ビール”。

ジョッキになみなみと注がれ、

泡があふれていたりする(ゴクッ)。

 

【写真_13】(クリックしてください)

 

 

初日に出たウイスキーだってそうだ。

 

そう。

それは大人のための『プリント』だった。

大人が、なにか病気をしてその回復にあたる。

そのための『プリント』。

そう考えると『作者』の、

あるいは言語聴覚療法士の意図がわかる。

 

回復の第一歩は

「イラストを理解する」こと。

その「名前を認識する」こと。

認識したらそれを「書くこと」。

 

幸いなことに私はイラストと、

正しい名前を線で結ぶことはできた。

むしろ得意だった。

 

退院まで12枚の記録があるが、

すべて正解。

満点である。

だが先生はそれで許してはくれなかった。

 

たとえば『杖』である。

初日につまずいた『杖』。

そのとき先生はすぐに“折ったA4”を開いて正解を教えてくれた。

しかし3日目になるとハードルが上がる。

先生は“折ったA4”を開くことなく言うのだ。

 

「じゃ書いてみましょう」

 

イラストと、その名前とを線で結ぶ。

それは得意だった。

わからない名前があったとしても

消去法で突き止め、

ごまかすことができた。

だがイラストだけを見せられて、

その名前が書けるのか。

 

書けなかった。

 

いや名前はわかる。

たとえば3日目(12月7日)のイラスト。

 

「机」「お茶」「野球」「梅」「鉛筆」

 

【写真_14】(クリックしてください)

 

わかった。

5つとも認識した。

だから書ける(はずだ)。

 

まず「机」はオッケー。

「お茶」も書けた。

だけど・・・

 

「野球」の“野”が書けない。

字の左側がどうなっているのか。

思い出せない。

 

右側はこんな感じか、とかいって書ける。

でも左側は・・・。

なんだっけ。

 

まったく思い出せない。

 

あるいは「梅」。

左側の“木偏”はわかる。

さて右側は・・・。

 

やはり小学生・・・いやそれ以下だった。

 

【写真_15】(クリックしてください)

 

『プリント』との格闘。

それは私を悩ませることとなる。

 

いや、

「悩ませる」は言い過ぎかも知れない。

むしろ“確認”である。

いま自分がいる位置の確認。

なにが失われ、

なにができないのか。

脳の機能のなかでなにが残っていて、

なにができるのか。

 

できないことが多すぎた。

だから結局、「悩む」ことにはなるのだが。

 

 

 

そういえばもうひとつ、

確認すべきことがあった。

 

「自分の名前」である。

 

自分の名前が書けるか。

それも大切な“確認”事項だった。

 

“認識”という点からいえばクリアしていた。

だが“書く”という点では、未だ心もとなかった。

 

だがリハビリは日を追うごとに進化(!)していった。

“名前”に加えて“今日の日付”。

それに“生年月日”が加わった。

さらには“住所”である。

 

たとえば12月8日の記録がある。

 

岡 孝司

正確に書けたのはそれだけだ。

他は全部、先生の“赤”がはいっている。

そこで“赤”を外したらどうなるか。

 

 __かたかし

    __和33年2月9日

 __成28年12月 日

 __京都 世__谷__ 

    __沢・・・

 

うそだと思うだろう。

“文頭”が見事になくなっている。

何かの間違いだ。

そう思うだろう。

私もそう思った。

昭和の“昭”も、平成の“平”も、東京の“東”も出てこない。

​駒沢の“駒”も・・・。

 

【写真_17】(クリックしてください)

 

いや、まいった。

文頭が出てこない。

この状態はつづいた。

救急病院を退院するまで、つづいた。

 

最も出てこなかったのは平成の“平”だった。

 

 

         ●

 

 

さて『日赤医療センター』での“記録”はこのあたりで終えようと思う。

というのも日々変わり映えせず、

あまりのボケっぷりに読者の皆さんも退屈だろう、と(笑)。

 

2016年(平成28年)12月20日。

退院。

 

いよいよリハビリに本格的に取り組む病院へ移る。

転院先は『原宿リハビリテーション病院』であった。