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医学的な限界は、6カ月

“原宿リハビリテーション病院”に入院して

3カ月が経とうとしていた。

 

ふと気が付けば3カ月。

救急病院も含めると約4カ月。

 

ずいぶん長い時間だ。

 

でも本人の感覚はそんなに経ったとは思えない。

入院して、まだ・・・ちょっと。

そんな感じだ。

 

“脳”のせいかも知れない。

やはり時間の感覚(間隔?)がズレている。

 

それでもカレンダーは進んでいた。

相変わらず“今日の日付”。

それを毎日書く。

 

 

カレンダーは進んでいく。

退院予定の6月半ば。

それに向かって進んでいく。

 

 

リハビリ病院では入院期間が決まっていた。

最長でも6カ月。

それ以上は入院できない。

 

どんなに症状が重くても、

6カ月経つと退院しなくてはならない。

それは厳然たる“決まり”だった。

 

理由は2つ。

ひとつは“回復期リハビリ”の期間が「180日まで」であること。

 

原宿リハビリテーション病院は“回復期リハビリ”の病院であった。

だから入院期間は180日以内。

 

えっ、なんで?

6カ月で治る人はいいけれど、

そうでない人はどうするの?

 

・・・なんて、聞けない。

「それが決まりなんです」と返されるだけだ。

どうやら国の、医療費抑制のためらしい。

 

・・・なるほど。

 

ちなみに救急車で運ばれた『日赤医療センター』は“急性期リハビリ”病院。

そこは発症から2カ月(60日)以内しかリハビリ治療は受けられない。

 

しかも、である。

それを超えてしまうと、

回復期リハビリ病院には転院できなくなるのだ。

だから日赤はなるだけ早く転院を勧めたわけだ。

2カ月以内ならその後6カ月、

「回復期」病院でリハビリを受けられる。

 

なるほど。

そういうことか。

 

でも・・・。

 

そう思ったあなた。

私と同じ感覚です。

そうですよね。

そう思いますよね。

6カ月って、やはり短いんじゃないですか?

 

 

いや、ちょっと待ってほしい。

それはあまりにも勝手な言い分だ。

いや皆さんではなく、私の言い分が。

なんか皆さんを誘導している・・・。

 

思い出してほしい。

私は書いた。

「6カ月で完治する。完治して仕事に復帰する」と。

「車椅子から解放されて自由に歩くことはもちろん、右手も何不自由なく動くこと。そんな自分が6カ月で実現できる」

 

しかもこう書いている。

「だって6カ月である。24週間である。それはずいぶん長い入院生活に思えた」。

 

すみません。

 

長い、と思った。

思っていた。

 

6カ月あればなんでもできる。

 

でも実際は短かった。

 

たとえばその半分の3カ月。

その間、私にできることは情けないほど限られていた。

右手も右足も、言語も脳も。

まったく意のままには動かせない。

 

あと3カ月。

それで何かが変わるのか。

いかに脳天気な(いや、脳が弱ってるからではなく、もともとの性格として)私でも、多くは期待できなかった。

 

そこで出てくるのが2番目の理由。

なぜ180日。6カ月なのか。

 

そこには、身も蓋もない話がある(らしい)のだ。

 

 

インターネットはさまざまな情報をもたらしてくれる。

それがその人にとって大切な情報でも、不都合な情報でも。

本人がどう思うかなど、蚊帳の外。

 

で、なぜ6カ月なのか・・・。

 

私はこんな情報を見つけた。

 

「以上のようなリハビリを半年近く行った時点で、動かない手足は動きません。厳しいようですが医学的に6カ月が限界であるのです」(原文ママ)

 

あらー まじ?

ほんと?

 

だから言語聴覚士のU先生は、

「完治」という、あまりにも元気のよい(脳天気な)私の言葉に「一瞬、凍りついた」のか。

 

なるほど。

 

 

結局、3カ月。

あと3カ月である。

泣いても笑ってもあと3カ月。

その期間をどう使うか。

 

泣いてるわけにはいかなかった。

 

よし。

私は戦略を立てた。

(いや、そんな、たいそうなことではないけど)

 

まず右足。

これは明確だった。

 

立って、歩く。

 

車椅子はさようなら。

そして病院から外へ。

街を歩く。

つまり退院後の生活を考えた適応だ

 

・・・って、そんなかっこいいことを考えたわけではない。

実は理学療法士のH先生にお任せだった。

先生がものの見事に私を、

退院後の生活適応へと導いてくれた。

 

 

次に右手。

作業療法士のY先生に聞いた。

「右手はどこまで治りますか?」

先生は少し考えて言った。

「目標は右手を左手の歯止めに使えることです。たとえばごはんを食べる時、茶碗が動かないように右手で止める」

 

えっ?

それだけ?

 

私は絶句した。

 

だけど考えてみれば当然だった。

今はそれさえもできないのだ。

率直な意見にむしろ感謝した。

期待させるだけの夢見る言葉は、いらない。

 

 

さて、言語だ。

これは言わなくちゃいけない。

というか、お願いである。

あと3カ月。時間がない。

 

言語聴覚士のU先生に、私は言った。

「私はライターなんです。必ず、ライターとして復帰したいんです」

先生は私を見つめて言った。

「わかりました。できるかぎりのことをやってみましょう」

 

その翌日から、である。

宿題の内容が、大きく変わることとなった。

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