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“筋トレ”がしたい

ま、いいか。

 

私は思った。

 

慣れるしかない。

 

初めての会社。

初めての現実。

いろんな視線・・・

 

慣れるしかない。

私もそうだが、

周囲の人たちも慣れるしかない。

慣れてください。

 

 

私はHさんと一緒に会社を後にした。

 

一方、Hさんは驚いていた。

社員が次々と駆けつけてくる。

その様子を見ながら、Hさんは(おそらく)考えた・・・

 

(この患者には会社がある。社員がいる。退院後、少なくとも孤独ではない)

 

いや、Hさんが言ったわけではない。

私の想像だ。

(スミマセン、Hさん)

ただHさんがなぜ、会社に行くことを望んだのか。

そもそもは会社の前に立つことが目的だったはずなのに、

なぜ中まで入りたいと思ったのか。

 

Hさんは見たかったのだ。

見て、安心したかったのだ。

そう思う。

 

私の、リハビリの先生であり、

責任者でもあったHさんは心配だった。

私の行く末を案じていた。

だから会社の雰囲気を見て安心した。

(なんて・・・これって自意識過剰?)

でも、おそらくそんなに間違ってはいない(と思う)。

 

・・・退院しても大丈夫

なぜなら岡さんには“会社”という存在があり

しかもそこに受け入れられている・・・

 

 

とにかくこうして“会社体験”が終わった。

 

Hさんが退院までにすべきシミュレーションは、すべて終わった。

 

退院まであと半月。

やり残していることはないか・・・

 

 

あった。

 

病院に、ではなく自宅にあった。

自宅の階段に手すりを付けること。

 

ただ、これは次男に任せている。

次男と、長谷川さん(セイファートの社長)に。

 

だが先日、病院に来た次男は「まだ付けてない」と。

どうやら担当する業者を変えようとしているらしい。

 

最初の業者はケアマネジャーから紹介された。

私はその業者を受け入れていた。

そのほかに選択肢がなかったからだ。

だが、次男は「高い」と思ったらしい。

見積もりを見て、長谷川さんと話し、業者を探し始めた。

 

おそらく長谷川さんの意向が強かったのだと思う。

長谷川さんは百戦錬磨。

交渉事には強い。

それに比べて、私は弱い。

もう、先方の言うがまま。

結構でございます。それでいいかと存じます・・・

 

さて、男としてどっちを取るか。

ま、長谷川さんである。

 

私は長谷川さんに、次男の“教育”を頼んだことになる。

しかも“実地訓練”。

次男はそれに応えようとした。

だが、当然のことながら難航していた。

 

退院まで半月。

なのに、業者すら決まらなかったのだ。

 

 

一方、私は“自分自身のシミュレーション”を試みていた。

退院までに自分がやるべきこと・・・

 

それは“筋トレ”だった。

 

入院して半年。

筋力の衰えは明白だった。

そこで「筋トレをやりたい」。

そう思っていた。

 

幸い、リハビリ・ルームには筋トレのマシーンがあった。

私はリハビリ中、そこで筋トレに取り組む患者を見ながら“うらやましい”と思っていた。

 

 

リハビリ病院の患者。

その容態はさまざまだ。

たとえ脳出血でも麻痺の出方は千差万別。

私より軽い麻痺もあれば、重い人もいる。

重い人はなかなか車椅子から立ち上がれない。

逆に軽い人はすぐに歩くし、筋トレにも励む。

 

同じ時間に100人近く(?)がリハビリを受けるリハビリ・ルーム。

その中で、患者は先生とマンツーマンでリハビリに励む。

同時に、周囲の患者にはさまざまな“刺激”を受ける。

私が受けた“刺激”は、

リハビリ・ルームの片隅で繰り広げられる筋トレだった。

 

とくに私を奮い立たせたのは、

元Jリーガーで

日本代表だった『ラモス瑠偉』さん。

彼も、同じ“原宿リハビリテーション病院”に入院してきた。

脳梗塞だった。

 

「ラモスさんがいる」

私が気づいたとき、

彼は病院の庭ですでに“リフティング”をしていた。

そして “筋トレ”も・・・

 

ラモスさんはおそらく私と同世代である。

なぜこの人はそんなに回復が早いのか・・・

そう思いながらも、私は彼をひとつの目標にしてきた。

 

ラモスさんがリフティングをしていたとき、

私はまだ車椅子。

庭にも出られない。

だが、私もいつかリフティング・・・

(いや、それは健常者のときでもムリ)

ではなく、筋トレをしたい。

それを励みにしてきた。

 

 

その“筋トレ”を、初めて体験できたのは6月上旬。

退院までは約2週間。

 

それまで、私は筋トレのマシーンに触ることすらできなかった。

しかし、あるときを境に筋トレが解禁された。

それは私が“意志の表明”をしたからだ。

 

 

そのころ、私は“院内杖なし歩行”を勝ち取っていた。

患者の“自由度”の最終段階。

病院内であれば杖なしでオッケー。

しかもスタッフや看護師の付き添いは不要。

つまり自由に、しかも杖なしで歩けるのだ。

そしてそれが

“筋トレ”という新たな意志の表明には必要不可欠な条件だった。

 

 

私は申請を出した。

「筋トレがしたい」

 

病院では患者の意志に沿って周りが動く。

さっそく筋トレ担当者が紹介され、トレーニングが始まった。

 

まずは“エアロバイク”である。

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