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“箸”が閉じない

さて、再び“箸”である。

 

箸を持ちたい。

自由に使いたい。

ラーメンを食べたい。

ひろの亭のラーメンを、

おいしい料理を食べたい。

そのためにも箸。

左手で箸。

退院までに、箸。

 

そこで私はまず“箸の正しい持ち方”から研究を開始した。

 

箸は毎食ついてくる。

トレーに必ずついてくる。

だから・・・

それを使ってとにかく食べる。

箸を使って食べる。

 

最初はむずかしくても、そのうちなんとなく箸の使い方がわかってくる・・・なんてことは“1ミリも考えなかった”。

そういう無手勝流の、奔放なやり方は好まなかった。

そうではなく、むしろ“かたち”から入る。

正しい箸の持ち方から入る。

それが私の選んだ道だ。

理由は「へんな使い方を身体に覚えさせたくはなかった」から。

 

 

それは自分の子どもに箸の持ち方を教えたときと同じであった。

私は20年程前の出来事を懸命に思い出そうとした。

だが、どうしても思い出せない。

ただ、箸の持ち方はなんとなく覚えてる。

「上の箸は人差し指と中指か? 下の箸は薬指の上?」

 

そこでやってみる。

晩ごはんの席だ。

トレーにはいつものように箸。

 

まず下の箸を薬指の上に。

その上から親指と中指と・・・

 

どうだ。

うん。安定してる。

 

次は上の箸だ。

下の箸を持ったまま、上の箸を拾う。

右手は使えない。

だから左手で“拾う”。

人差し指と親指で拾う。

その際、箸の長さも合わせなきゃ。

うん。いいぞ。思い出してきた。

 

 

ほら、持てた。

左手で箸が持てた。

お〜

しかも持ち方はきれいだ。

なんとなく合っているような気がする。

さすが、かたちから入る岡。

さあ、動かしてみよう・・・

 

 

動かない。

 

箸の先端が閉じない。

これではモノがつかめない。

 

ほんとうは上の箸だけが動くはずだ。

だけど動かない。

上の箸を動かそうとすると、手首が動く。

いやちがう。

手首は動かない(はずだ)。

 

なんでだ?

どうやってたっけ。

 

動かすのは上の箸だけじゃない・・・とか?

じゃあ、上下ふたつの箸で挟む・・・?

う〜ん、違うような気がする。

第一、どうしたって箸が動かない。

ぴくりともしない。

 

試しに野菜をつかんでみる。

持てない。

何度か試す。

持てない。

 

あ〜疲れる。

やめた。

今日はやめた。

スプーンだ。

スプーンはいいぞ。

いろんな食材を見事にすくえる。

口のなかに放り込める。

なにしろ食事の時間が短くて済む。

だれにも迷惑かけない・・・

 

でも翌日。

朝食になると私は箸を使おうとした。

 

しかしダメだ。

動かない。

ギブアップ。

 

昼食もそうだ。

挑戦はする。

でも最初の1〜2分でギブアップ。

スプーンで食べる。

 

晩ごはん。

再び挑戦を始める。

ギブアップ。

すぐにあきらめる。

 

 

あきらめる?

 

なぜそんな簡単にあきらめるのか。

あきらめないで何度もやってみろ。

できないなんて言わず、なんとかできるようにしようよ。

工夫するんだ。

きっとできるようになる・・・

 

昔の私ならそう言っていた。

間違いなく言ってた。

そういう男だった。

(暑くるしいヤツ)

(周囲の方々、スミマセン)

 

でも今ならわかる。

病気になって初めてわかる。

やろうとしてもできない。

できないことがある、ってこと。

 

 

あきらめるのは

食事に時間がかかるから・・・

いや、そうではない。

 

もちろん食事の時間は決められている。

遅くなればそれだけスタッフに迷惑がかかる。

だけど、一番の理由。

それは疲れてしまうからだ。

 

箸を動かす。

これを数分。

それだけで疲れる。

左手もそうだが、何よりも脳だ。

脳が疲れる。

 

箸でモノがつかめない。

それを無理矢理つかもうとする。

それを何度か繰り返す。

すると疲れる。

 

できないことにチャレンジする。

それで疲れる。

 

それは初めての体験だった。

 

 

脳が疲れる経験はあった。

何時間も原稿を書いていると脳が疲れる(そんな気がする)。

そう思ったら寝る。

しめきりがあったとしても、寝る(みなさんゴメンナサイ)。

 

しかし箸の場合はわずか数分間。

それなのに疲れる。

早々に疲れを実感する。

すると「もういいや」となる。

スプーンに切り替える。

スプーンに、逃げる。

 

 

逃げる?

 

うん、逃げる。

今は逃げる。

箸から逃げる。

スプーンに逃げる。

自分から、逃げる・・・

 

だけど翌朝になると、私は戻ってくる。

​あたりまえのように

“箸”に挑む。

翌日も、そのまた翌日も“箸チャレンジ”はつづいた。

 

 

その過程で気づいたことがある。

それは“中指”の存在。

 

上下の箸のまんなかに、中指が出てる。

ニョッキリ出てる。

どうやらその中指が、箸の動きを邪魔してる。

 

記憶では、上の箸はその中指と人差し指、そして親指で支えている。

ということは、

中指は下の箸には触らない・・・とか?

 

いや無理だ。

下の箸にも触っていないと安定しない。

箸が浮いてるなんて不可能だ・・・

 

中指は下の箸にべったり付いている。

そこで、だ。

親指である。

これを動かして上の箸を動かす。

 

まぁ動く。

だけど箸の先端は合わない。

交差する。

でも・・・

それを強引に合わせれば、モノはつかめる。

つかめそうな気がする。

 

試す。

つかめる(ときもある)。

だけど、手には予想外の力が・・・

 

こんなに力が必要だったら、とても一食もたない。

食べることより、箸を持つことのほうがたいへんだ。

 

しかし他に方法はなかった。

まずは箸で食事ができること。

それが目標だ・・・

 

「箸を使ってとにかく食べる」

 

結局、私は“1ミリも考えなかった”事態を受け入れるしかなかった。

どんなに無様でも、とにかく箸。

​箸を使って食べる・・・

だけどその姿は、

けっして美しくはなかった。

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