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​めいわく・・・

1年である。

退院して1年。

私がこの『文章のリハビリ』を書き始めるまで1年。

 

その間、いろんなことがあった。

だが私は“文章”にできなかった。

 

たとえば“転倒”事件。

東横線自由が丘駅の構内で、私は“転倒”した。

 

退院して1カ月も経っていなかった。

自由が丘駅のホームに向かう階段で、

なぜか私は“手すり”に頼らず、

階段を上ろうとした。

 

あれほど大事にしていた“手すり”には見向きもせず、

そのまま自力で階段を上ろうとした。

 

なぜそうしたのか。

 

わからない。

 

“パスモ”を使い、構内に入った。

もちろん杖はついている。

歩く速度も4分の1歩。

だれよりも遅い。

だけどそのとき、私のなかには“病気以前の私”がいた。

 

土曜日の午後。

人もそれなりに多い。

その流れのなか私は“以前の私”になった。

 

人の流れにはとても付いてはいけないが、

それでも私はなぜか“健常者”の気持ちになっていた。

 

退院後、初めての“駅”。

Hさんのいない、ひとりだけの“駅”。

そのシチュエーションに、私は興奮していた。

 

いや、ちがう。

“興奮”ではない。

 

なんだろう。

 

どこか焦っていた?

 

「さて駅だ、人の流れに付いていかなきゃ」

 

それだけだった。

 

人々は流れていく。

かなりもスピードで、流れていく。

その流れに、ついていかなきゃ。

 

早く、速く・・・

 

そのほかのことは全然考えなかった。

 

早く、速く・・・

 

私はごく普通に、

なんのためらいもなく

階段の1段目に左足をのせた。

 

 

 

その後のことは覚えていない。

気がつくと、数人の手が私に伸びていた。

と同時に「だいじょうぶですか?」と言う声が聞こえてきた。

 

「はぁ・・・」

 

私は当初、状況がつかめていなかった。

 

「だい・・・じょうぶ・・です」

 

そう言ったものの、

なぜ人々が手を差し伸べてくれているのか。

わからない。

 

なぜだ。

なぜ何人もの人が、私を助けようとしているのか。

 

わからなかった。

 

だが、人の手を借りて立ち上がったそのとき、ようやく理解した。

 

“私は転倒したのだ”。

 

 

直後から「すみません」の連発である。

「すみません」

「ありがとうございます」

 

駅員がやってきて、言った。

 

「この先にエレベーターがありますから」

 

そう言って

私をエレベーターの乗り口まで連行、

いやちがう、連れて行ってくれた。

 

「すみません」

「ありがとうございます」

私は何度も言った。

駅員さんにも、周囲の人々にも。

 

 

そのまま家に逃げ帰るという“失態”を、私は避けた。

カラスの時と同じだった。

 

エレベーターでホームに上がり、各駅停車に乗った。

ホームには、私の“転倒”を知っている人はいなかった(と思う)。

 

“興奮”していた。

ひとり、なんともいえない“興奮状態”のなかにいた。

息が上がっていた。

足が、震えていた。

 

電車が来た。

 

私はなおも“興奮状態”である。

どうやって電車に乗ったか、わからない。

 

電車の中で、私は立っていた。

バスと違って席を譲ってくれる人も、

優先席を空けてくれる人もいない。

でも、そんなことより私は考えていた。

 

“なぜ転倒したのか”

“なぜ手すりを使わなかったのか”

 

いくら考えてもわからなかった。

 

階段に手すりはあった。

その存在は、立ち上がって人々に感謝している間に確認していた。

でも、なぜそれを使わなかったのか。

なぜ手すりに頼らなかったのか。

 

わからなかった。

 

電車は渋谷駅を過ぎ“明治神宮前・原宿”に着いた。

“表参道”に出るとそこは激混みである。

さすが土曜日の午後。

でも私はその人混みの中、考えつづけた。

 

“なぜ手すりを使わなかったのか”

 

 

『boy』。

それが目的地である。

 

私は初めてひとりで電車に乗り、

“表参道”にやって来た。

髪を切るために。

 

『boy』。

有名な美容室。

前衛(?)美容室。

私は20年近く、オーナーの茂木さんに髪を切ってもらっていた。

 

いや、切るだけではない。

極端な髪型、

たとえば“ソフトモヒカン”や、

色とりどりのカラーも。

 

私はいつも茂木さんの“実験台”だった。

50歳を過ぎても“ヘアスタイルの実験台”。

でもそれが楽しかった。

 

退院したら真っ先に髪を切ってもらいたかった。

病気になっても、茂木さんは変わらない。

きっと変わらずに受け入れてくれる。

だから・・・

 

 

お店のなかはいつもと変わらずホスピタリティに溢れていた。

右半身のことも、失語症のことも、

茂木さんだけでなくスタッフ全員が受け入れてくれる。

だけど・・・

 

変わっていたのは、私だった。

 

いくらみんなが普段どおりに接してくれても、

茂木さんが髪型で励まそうとしてくれても、

素直に笑顔になれない私がいた。

どこか引きつった笑顔になってしまうのだ。

 

なぜか。

 

どうしても考えてしまうのだ。

 

“でも、やっぱり迷惑、ですよね・・・”

もちろん言葉にはしない。

​ただ、そう考えてしまう。

 

シャンプーのために場所を変えるとき。

カットのため、セット面に移動するとき。

会計のために身体を動かすとき。

 

私はまず杖を手にし、

椅子からヨイショと立ち上がり、

4分の1歩でフロアを歩く。

 

スタッフのみなさんは必ず手を貸してくれる。

みんな笑顔で接してくれる。

ただ・・・

私のこころが変わってしまった。

 

「やっぱり迷惑、ですよね・・・」

 

 

その日は自由が丘駅“転倒”事件があった。

だから余計にそう思ったのかもしれない。

 

“めいわく・・・”

 

その日以来、『boy』には行ってない。

 茂木さん

 スタッフのみなさんスミマセン

 もう少し、身体が動くようになれば

​ きっと行きます

 それまでもう少しお待ちください

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