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​『ライター』を、採用する?

 

 

きっかけは2005年。いまから15年前のことである。

(あ、『ツタブン』についての話です)

 

セイファートが打ち出した施策。

「ライターを採用する」

しかも「“素人”の・・・」

 

ま、大胆な発案だ。(スミマセン。発案者は私です)

 

 

ふつう、“ライター”という職業は「経験」が必要だ。

というか、必須だ(と言われている)。

だって求人広告を見ると必ず書いてあるのだ。

「ライター・経験3年以上」

 

つまり“素人”は採らない。

必ず「経験3年以上」。

鉄則だ。

「ライター・経験不問」なんてあり得ない。

 

だけど・・・と、私は思っていた。

「素人でも書けるヤツはいる」

 

根拠は・・・

 

ない。

 

だけど私は確信していた。

「素人でも書けるヤツはいる」

 

(その発想が『ツタブン』へとつづくのですが、ちょっと回り道)

 

 

          ●

 

 

ライターは、それまでも採用していた。

当時は2名。

だが2名とも「ライター」としては募集していなかった。

「営業」である。

 

募集職種は「営業」。

 

当然、2名とも最初は“素人”だった。

その“素人”が、驚くべき活躍をしていた。

 

 

ひとりは、ちょうど20年前の2000年に採用。

 

彼女は“天才”だった。

入社選考時の“作文課題”で、圧倒的な力量を示した。

他の人の“作文”が、かすんで見えなくなる。

先輩ライターとして、偉そうに選考していた私がいちばん衝撃を受けた。

「いさぎよく筆を折ろうか」なんてことを、まじめに考えさせられた。

 

でも本人はそんなこと、気づかない。

ただ求められるままに“課題”を書いて、提出した。

上智大学の社会福祉学科を卒業して1年。

23歳の女性だった。

聞けば「人に見せるための文章は初めて書いた」という。

「でも書いていてたのしかった」。

 

なぜこの人が社会に埋もれていたのだろう。

そう思った。

 

 

 

もうひとりは男性。

こちらは“秀才”。

 

入社前に、私は彼の“添削指導”をしていた。

 

なぜ指導をしていたのか。

わからない。

 

そもそもなぜ、 “作文”という課題を出したのだろう。

「営業」の募集だったのに、なぜ・・・

 

わからない。

 

「なんとなく文章、書けそうだ」

面接のなかで、私がそう思った。

それは“23歳の女性”のときと同じであった。

 

 

ただ入社前の、当時はまだ“他社の人間”に指導する・・・?

記憶の外だ。

わからない。

もう20年も前のことだ。

だけど何らかのきっかけがあって、私が(偉そうに)“指導”していた。

 

 

慶応大卒。当時、某有名通信会社のエンジニア。

ま、エリート街道まっしぐら、である。

なのに大学も出ていない落ちこぼれの私が、文章を“指導”する。

 

やめておけばよかった。

なんどもそう思った。

だけど私は“添削”をつづけた。

 

彼とは一度も会ったことはない。

“添削”は、すべてメールである。

 

その過程で、彼の文章は変わっていく。

 

“添削”を始めたころ、彼の文章はひどかった。

いや、彼の名誉のために訂正しよう。

彼の文章は“難解”だった。

 

たとえば「映画」という最初の課題に彼は“北野武”を選んだ。

 

文中にはこういう表現が。

映画文法の話をすれば、それはそれでふんだんに盛り込まれている。

ゴダールのモンタージュがあり、フェリーニの妄想があり、黒澤の構図があり、ペキンバーの銃撃があり、トリュフォーのアイロニーがある。

だが、それについて言及したところで、僕が感じた印象への回答にはならない。

 

やはり“難解”。

 

だけど書き出しは素直で、小説のようで、かっこ良かった。

 

外は雨が降り始めていた。

 

雨粒が、西へと向かうバスの窓に糸を引く。

季節は冬に向かおうとしていて、その日、

17歳の僕は、途方にくれていた。

 

 

彼は「セイファートに転職するつもりで」通信会社を辞めた。

 

えっ? 辞めた?

いやいや、まだうちで採るなんて決まってないし・・・

 

だが、そんな私の立場なんか関係ない。

彼は辞めたのだ。

しかも“ライター”になるつもりで、エリートの道から外れた。

 

すこし話がそれますが、先週の木曜日に上司に退職する旨を伝えました。

翌日、巨人の松井秀樹がメジャー行きを発表しました。

話のスケールがあまりにも違いすぎるのですが・・・・

松井秀樹の気持ちがすこしわかるような気がしました。

たんに自分に重ねたかっただけかもしれませんけど。

 

私は覚悟を決めた。

 

彼を採用して、ライターに育てる。

プロのライターに育てる。

 

彼を採用したのは“添削”を初めて半年後。

2003年の春だった。

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