自転車には、二度と乗れない

“エアロバイク”“レッグカール”

“レッグエクステンション”。

私の筋トレは3種類のマシーンで始まった。

 

最初に挑んだのは“エアロバイク”。

ま、自転車である。

漕ぐだけで、動かない自転車。

 

スタートの前に“負荷”“目標カロリー”など、簡単な設定をする。

筋トレ担当者は慣れた感じで設定をする。

その数値が、私にはよく見えなかった。

だからのぞき込もうとする。

だが担当者はそれに構わず言うのである。

 

「まず左足からペダルに乗せてください」

 

そうか。

そうだよな。

“負荷”よりまず“跨がる”方法を学ばなければならない・・・

 

左足はまだいい。動くから。ただ、右足はどうする。

 

左手で“ハンドル”をつかみ、

左足を“ペダル”に乗せて、

腰を“サドル”に・・・

 

何とか乗れた。

ただ、右足は宙ぶらりん。

私は左手をハンドルから離して、その左手で右足をペダルに。

これはそれほど難しくはなかった。

 

でも・・・

 

私は気づいた。

 

“エアロバイク”じゃなきゃ不可能だ。

“動かない自転車”だからこそ

私の一連の動きを受け入れてくれる。

しかし、普通の自転車はどうだ。

 

ま、乗れない。

絶対に、乗れない。

私は動く自転車には乗れない。

しかも二度と、乗れない(かもしれない)・・・

 

なんて・・・

そんなに悲観的ではないのだが。

 

ただ退院を目前にして、私は感じていた。

この麻痺は、治らないかもしれない、と。

 

 

6カ月である。

毎日、である。

1日の休みもなく先生方がプログラムを考え、いろんな試みをしてくれた。

その結果が“院内杖なし歩行”。

だが、相変わらず右足は単独では動かず、

右腕はピクリともしない。

つまり右半身に、

自分の意志が伝わらないのだ。

 

原因はわかっていた。

脳である。

 

たとえば今、“歩行ができる”ということも、

私に言わせれば歩行の“真似ができる”。

装具を付けて、右足がへんな方向に行かないように矯正する。

右足がへんなかたちに変形して歩行の邪魔にならないように、いわば強制的に固めるのだ。

 

つまり脳を起因とする麻痺とは、

脳からの指令がまったくないために足が足として動かないだけでなく、

むしろ意に沿わないひとつの“物体”として存在し、人間の正常な動きの“邪魔”になってしまう。

そんな哀しい出来事なのだ。

 

右手と右足が動かない。

だけど“エアロバイク”は、左足のみで動いてくれた。

“レッグカール”も“レッグエクステンション”も左足だけで動かせた。

もちろん右足は添えるだけだったし、マシーンの“負荷”は最小値。

それでも私にとっては画期的なことだった。

退院に向けて“筋トレ”ができる・・・

 

 

一方、歩行訓練はつづけていた。

スタートは2017年4月19日。

 

この日、“介助なき二足歩行(杖・装具必須)”の許可が出た。

つまり誰の手も借りずに歩ける。

​自分ひとりで、歩ける。

その翌日から、私はフロアーを歩き始めた。

杖をつきながら毎朝、食事の前にフロアーを歩く。

最初は2周。

病室のある3階のフロアーを、2周。

 

とにかく歩く。

ひたすら歩く。

そうじゃないと私は“寝たきり”になってしまいかねない。

日数を重ねるごとに2周が3周になり、5周になった。

 

 

救急病院にいたころ、私はベッドの上でほとんどの時間を過ごしていた。

1日3回、40分ずつのリハビリは、車椅子を押してもらってリハビリ・ルームへ。

それ以外はベッドである。

食事もベッド。

“あぐら”をかいてベッド。

リハビリ病院に転院しても、ベッドが生活の場だった。

 

しかも最初は病室が狭く(おそらく全病室のなかで一番狭かった)すべてはベッドの上。

 

ところが2月9日(まさに私の誕生日)、

隣の病室が空いたので移った。

 

その広さ。

今度は全病室のなかで一番広かった(と思う)。

しかも窓外の眺めは抜群。

間近に見える国立代々木競技場第一体育館。

岸記念体育会館。

そしてNHK・・・

大きな窓から臨む壮大な景色。

しかし、相変わらず生活のほとんどはベッドの上。

“あぐら”か“寝ている”か、だった。

 

ある日、作業療法士のYさんが私に言った。

「岡さん、なるべくベッドから離れて過ごしてください。じゃないと退院してからがたいへんですよ。病室にいるときは車椅子に座りましょう」

 

(このときYさんは“あぐら”を続けることによって身体に重要な変化が現れる・・・ようなことを言っていた気がする。だけどどういう変化か記憶から完全に抜け落ちている。スミマセン)

 

最初はたいへんだった。

ベッド上の生活から、

起きてベッドの外に出て椅子に座る。

それがつらい。

身体がつらい。

できればベッドに寝転びたい。

だが退院後のことを考えると、いつまでも寝てはいられない。

 

よって私の入院生活は、

12月から2月の途中まではベッド、

2月の途中から4月までは車椅子、

そして“二足歩行”が解禁されてからは、

普通の“椅子“が主な生活の場となった。

 

ま、そう書けば順調にステップを踏んでいる(ように見える)。

だが、私にはひとつ、問題が生じていた。

しかもかなり深刻な問題が・・・

 

4月以降、私は勇んで歩いた。

歩けることが喜びだった。

だから歩いた。

もちろん右足には装具をつけっ放しで、一日の大半を過ごした。

 

しかしある日、

右足の親指にかなり強い痛みが走った。

いや、親指はいつからか慢性的に痛かった。

その痛みに、耐えられなくなったのだ。

 

見ると親指の爪が、皮膚に食い込んでいた。

血も出ている。

すぐに看護師さんに見せた。

 

「あ〜、巻き爪になってる」

 

えっ・・・

 

それは今日までつづく、

あらたな試練の始まりだった。