脳が
どこかに・・・
なぜ “一文を短く” ?
Iさんの文章は、
私の添削を受け付けてくれなかった。
だけど、拒否ではない。
むしろ雰囲気はwelcome。
「どうぞ添削、お願いします」
ただ、いざ添削しようとすると受け付けない。
添削するところが見当たらないのだ。
私の添削は単純である。
たとえば“一文を短く”すること。
多くの人が、一文のなかにいろんなことを入れようとした。
あれも、これもと入れたがった。
だから結果的に、長い文章となった。
それを私が添削する。
長くなった一文を短くする。
だけどIさんの文章には、その手法が通じなかった。
なぜならもともとが短い。
いや、たまに長い文章もある。
だが、それを短くできない。
私の技術では(そんなものがあるとして、だが・・・)短くできない。
つまり受け付けないのだ。
文章が、私を受け付けてくれない。
でも、拒否してるわけではない。
そんな冷たい素振りなどいっさい見せない。
それどころか文章はいつも“笑って”いる。
ニコニコしてる。
だけど受け付けない。
添削者を受け付けない。
だから私は書いたのだ。
それは不思議な感覚だった、と。
●
“一文を短く”する。
もちろんそれで、
それだけで“添削”ができるわけではない。
それに長くても意味のある文章はたくさんある。
短くなくても、ステキな文章はたくさんある。
でも、
それでも私は“一文を短く”することにこだわった。
なぜか。
なぜ、そこまでこだわるのか。
短くすれば読みやすくなる。
読みやすくなれば、伝わりやすくなる。
単純だがそう思っていた。
もうひとつ、ある。
それは私自身、そうやって鍛えてもらったからだ。
ライターになる前、
見習いのころから私は言われていた。
というか言われつづけてきたのだ。
「文章が長い」と。
昔の話である。
ずいぶん昔・・・
私がライターになる前の話だ。
今から30年、いや37年も前の話だ。
1983年。
当時のことを『文章のリハビリ』では書いた。
が、この『脳がどこかに・・・』には入れなかった。
『story』のなかには収録しなかった。
あまりにも昔のことで、読んでくださる方は退屈だろう。
そう思った。
だから、省いた。
だけど・・・
“一文を短く”することに、なぜこだわるのか。
話の流れからこうなってしまった。
こうなってしまったからには、再録するしかない・・・(?)
今から37年前、1983年の話である。
●
私はライターになりたかった。
だが、ライターになる道は皆無であった。
新聞に載る求人広告の「ライター募集」。
その第一条件は「経験3年以上」。
未経験者可、などという素人にやさしい会社はなかった。
私は思った。
じゃあ最初の「経験」は、みんなどこで積んでいるのだろう。
わからなかった。
ライターになる人はいつしか自然に「経験を3年以上」積んでるらしい。
じゃあ私のように「経験のない」人はどうするのだ・・・
いくら考えても堂々めぐり。
だったらしょうがない。
ライターで就職するのをあきらめる。
でもライターの近くで仕事をして、チャンスを待とう。
今から考えればあまりにも楽観的。
ま、今も同じく“脳天気”な発想で新聞広告を見渡せば、「アルバイト募集」
「コピーライター・経験3年以上」のとなりに「営業・未経験者歓迎」が。
しかも同じ会社。
よし、ここだ。
ライターの前に「コピー」がついているが、ま、いいか。
しかも営業は「未経験者可」ではなく、
「未経験者歓迎」だぜ。
社名を見ると「日本リクルートセンター」(現・リクルート)。
知らない。けど、応募だ。
こうして私はリクルートに、「営業」のアルバイトとして忍び込んだのである。
1983年2月。
私は25歳になっていた。
●
スミマセン。
長くて。
あ、テーマは“一文を短く”だった。笑
でもまだまだつづきます。
●
さて、コピーライターである。
その職種は知っていた。
糸井重里はすでに有名だった。
西武百貨店の「不思議、大好き。」
「おいしい生活」などは、まさにその年、
1983年前後に話題となっていた。
また仲畑貴志も、真木凖も魚住勉も有名だった。
だから私も(いつか)コピーライター・・・
でもその前に、営業である。
私は1年間、営業職をまっとう(売れなかったが)した。
その間、私はある仕掛けを試みた。
それは「私が売った広告は、私がコピーを書く」。
ま、とんでもない話である。
コピーライターではないのに、コピーを書く。
営業のアルバイトのくせに、コピーを書く。
もちろん制作担当者(ディレクター)は、ゆるしてくれない。
私ではなくプロのコピーライターに発注する。
だけど私はめげない。
コピーライターと同時に、私も書く。
だが先輩のディレクターは見てもくれない。
それでも書く。
広告が売れるたびに、書く。
ディレクターは無視。
プロのコピーが誌面に載る。
私はめげない。
そんなやりとりを半年くらい。
あるときディレクターが初めて、私のコピーを見てくれた。
「長い」
コピーを見るなりディレクターは言った。
読みもしないで、である。
その場で突き返された。
それで終わり。
それが私の、コピー「デビュー」であった。
●
ようやく出てきた。
「長い」
でもこの場合の「長い」は、コピー全体の分量である。
私は“一文”どころか、なにからなにまで「長い」のであった。
●
「いや、ちょっと待ってください」などとは言えない。
「読んでください」とも言えなかった。
ましてや「読んでくれればわかってくれる」など・・・
それほどディレクターは怖かった。
営業所の“主”のような人だった。
30代だが十分にベテラン。
総責任者のマネージャーも一目置くような人だった。
「長い」。
その意味はわかった。
広告のコピーとしては、長い。長すぎる。
うん。わかる。わかってる。だけど長くなってしまうのだ。
私は営業担当だった。
しかも自分でもらってきた求人広告のコピーである。
営業としては思い入れが強い。
対象は中小企業。いやむしろ小企業。
採用の責任者は、社長。
だからこそ人を採ることについては誰よりも思い入れが強い。
それが営業の私にも伝わる。
当然、私が書くコピーにも伝わる。
よって長くなる。
途中で端折ったり、省略したり、などとんでもない。
思いを存分に伝えたい。
いきおい長くなる。
でも、と思っていた。
長くても「読んでくれれば伝わる」と。
私には自信があった。
「絶対に伝わる」。
●
あ〜あ。
言っちゃった。
長くても「読んでくれれば伝わる」
『ツタブン』参加者のみなさん。
私、こんなことを言ってたんですね。
ホント、スミマセン。
で、この先は来週にします。
(あ、昔の文章、まだまだつづきます)