脳が
どこかに・・・
まずは“階段の克服”
H先生の提案は、的を射ていた。
いやH先生だけではない。
リハビリの先生なら
おそらく100人中100人が口を揃えただろう。
「アパートの1階に引っ越すべきだ」と。
それくらい我が家は“アンチ・バリアフリー”状態だった。
私は決断を迫られていた。
退院まであと2カ月と少し。
“アパートの1階”に引っ越すべきか。
それとも自宅に帰るか。
私は弱った“脳”に相談した。
頼りない“脳”だった。
足し算は間違うし、濁点も苦手。
新聞も読めないし、
時間の感覚も完全にズレている。
でも私は、私の“脳”を信頼していた。
いや、間違い。もとい。
私は、私の“脳”しか頼れなかった。
当たり前だ。
“脳”に聞くしかない。
ほかにどこが答えてくれるのか。
左手か。左足か・・・。
よって結果は、私の“こころの声”に聞いた(ことになる)。
答えは・・・
「家に帰ります」
シンプルだった。
「引っ越しはおっくうだ」
「アパートを探すのがたいへんだ」
「子どもたちが帰る場所が必要だ」
「住み慣れた地域から離れたくない」
・
・
・
後から考えれば“理由”はいくつも出てくる。
しかもそのどれもが至極まっとうな“理由”だ。
だが“こころの声”は、
それらを並べる前に結論を出した。
「家に帰ります」
それしかない。
うん。オレは家に帰るんだ。
弱った“脳”はそう言った。
ほとんど検討もせず、結論づけた。
(もちろん最大の理由は“先立つものがない”である。治療や入院でいったいいくらかかっているのやら・・・)
さて、困ったのは周囲である。
とくに先生方はたいへんだった。
・・・この患者を、あの“アンチ・バリアフリー”の環境に放り込まなければならない。しかも2カ月で・・・。
理学療法士のH先生は、先生方の先頭に立った(ようなことがスタッフ会議で持ち上がったのではないか)。
まずは“階段の克服”である。
リハビリ・ルームには“階段”が用意されている。
そこで練習を積む。
わずか5段ほど(だったように思う)の階段。
でも、じゅうぶんに怖かった。
手順としてはまず手すりを左手でつかむ。
つづいて動く左足をひとつ上の階段に乗せる。
そしていよいよ動かない右足だ。
全身の筋力を集中して「ヨイショ」と
右足を、左足と同じ段に乗せるのだ。
みなさん、わかりますか。
右足は動かないので、胴体からまっすぐ伸びている。
膝が曲がらないので、硬直しているかのようだ。
その硬直した“まっすぐ”を、そのまま上の段に乗せる。
つまり左足が大活躍。
膝を曲げて、右足の重みも含めて「ヨイショ」と。
その手順に沿って、階段を一段ずつのぼる。
文字通り、一段ずつだ。
それで5段。
ふーっ。
さて、上まで上りきってしまうと、今度は下りだ。
で、本当に怖いのはここからだ。
「まず左手で手すりをしっかり握って」
H先生が言う。
下りは先生も緊張する。
「右足を一段下に下ろしましょう」
「えっ」
そりゃ無理だ。
だって右足ですよ。
右足を下ろすなんて。
動かない足ですよ。
と思いつつ、恐る恐る右足を下ろす。
なぜか股関節は動くのだ。
膝は動かないが、右の太腿は少しだけ動く。
だから下ろせる。
先生は懸命に私の身体を支えている。
右足が下りた。
「いいですねぇ。じゃあ左足を下ろしましょう」
あとは簡単だと思うだろう。
だって動く左足だもん。
右足が下りてさえいれば、あとは簡単だ、と。
だが実は最後のピースが最も危険なのだ。
左足を一段下に下ろす。
右足があるところに、下ろす。
ということは一瞬、右足で支えなければならない。
動かない右足で、身体全体を支える。
これが怖いのだ。
もちろん左手でも支えているが、やはり足だ。
身体は足で支える。
私はびびった。
どうしようか。
やめちゃおうか。
いや、やめるわけにはいかない。
だって私はすでに上っている。
5段の頂上だ。
ということは下りなきゃいけない。
下りなきゃこの練習、やめられないのだ。
私は覚悟を決めた。