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​脳が

どこかに・・・

今日は、何日?

私が救急車で運ばれた時、

会社(セイファート)ではちょっとした騒ぎになっていた。

(と、あとで聞いた)

 

すぐに即応体制が取られ、総務のもとに情報が集約される。

会社を代表して当時の総務人事部長・Mさんが病院へ。

同時に、家族への連絡である。

 

『日赤医療センター』の担当医師は、

集まった家族に言っていた(らしい)。

「予断は許さない」と。

 

当時のことを次男が覚えている。

「5段階で4だと言われた」

 

 

ただ、私はのんきなものである。

 

半昏睡状態で、

ときおり意識がはっきりした時に

「あぁ救急車で運ばれてる」

「病院に着いたのかな」

「身体が前後左右に動いてる」

(これはMRI(磁気共鳴画像)の検査だった)

 

じつはこの「ときおり意識のはっきりした時」が、重要だったらしい。

 

意識障害が高度な場合は死に至ることもある、といわれる。

 

私の場合、

運ばれる途中、何度か意識が戻っていた。

それが結果的に私を死から遠ざけた(のかもしれない)。

 

 

ともあれ私は生還した。

意識が戻った。

 

すると、すぐにリハビリが始まる。

病室ではなく、『リハビリ・センター』でのリハビリ。

 

病室はたしか8階。

『リハビリ・センター』は2階。

 

私は車椅子に乗り

(生まれて初めての車椅子)

スタッフに押してもらい、

エレベーターで『リハビリ・センター』へ移動する。

点滴の輸液をぶら下げながら。

 

 

初めて『リハビリ・センター』に行ったのは

入院5日目のことである。

「いす」にも「おか」にも苦労した日から2日後。

 

そう、

わずか2日後。

なのに私は“飛躍的に”成長する。

名前を漢字で(!)書いたのだ。

 

【写真_03】(クリックしてください)

 

 (本名・孝司 「高志」はペンネームです)

 

 

それにしても大きい。

幼児が書くくらいに大きい。

しかもヘタ。

 

「岡」は左右対称だからなんとかサマになっているが、

「孝」の下側の「子」がダメだ。

フニャフニャになってしまう。

 

そして「司」。

でもこれは直線が多くて比較的やさしい。

下側の「口」は画数が多い(!)ので、丸を描いてオッケー。

 

 

できた。

 

(おー、書けたじゃん)

 

私は一瞬、達成感に浸った。

 

先生は漢字の横にひらがなを添えるよう求めた。

 

漢字は書けた。

ということはひらがなも当然、書ける。

ふつうはそう思う。

 

しかし・・・

 

「た」が、思い出せなかった。

 

「た」。

「孝司」の「た」。

 

口に出したら言える。

当たり前だ。

自分の名前だ。

ところが書けない。

字が、

ひらがなの一文字が、まったくイメージできない。

 

よって

「おか  かし」

 

先生はやさしく、赤ペンで「た」を書いてくれた。

 

「ですよねー」

私はそう言いながら書いた。

 

いや、実は言ったかどうか。

果たしてことばになっていたのか(その話はまた後ほど)

 

【写真_04】(クリックしてください)

 

 

そして日付である。

 

「今日の日付を書きましょう」

 

えっと・・・。

 

十一月二十二日。

 

書いた。

A4の紙に、大きく「十一月二十二日」。

漢数字で書けた。

先生もほめてくれる。

ほめながら先生が赤いボールペンを取り出す。

二十二日の横に、「二十八」。

 

【写真_05】(クリックしてください)

 

そうか。その日は11月28日。

いつだったかそう言われた気がする。

いつだっけ。

そうだ。さっきだ。

リハビリが始まったと同時に教わった。

今日の日付。

28日。

教わっただけではない。

私も繰り返した。

11月28日。

 

だけどなぜ?

22日って、まだ「倒れる前」じゃないか。

 

 

日付がわからないのだ。

 

11月はわかる。

でも・・・何日だっけ・・・?

教わってもすぐに忘れてしまう。

 

 

こうして私の闘いが、始まった。

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