脳が
どこかに・・・
岡の、文章なのか
翌日から“チャレンジ”が始まった。
まず“読む”こと。
書くのはその後だ。
読んで、読み込んで全体像をつかむ。
幸いその原稿は私が以前書いたものだった。
だから読めば思い出す。
内容もすんなり入ってくる・・・はずだった。
入院生活は意外と忙しい。
毎日3回〜4回のリハビリ。
食事も3回、決まった時間に食堂に行く。
しかもそれぞれ、移動に時間がかかる。
ま、のろのろするのだ。
半身麻痺をもっとも意識するのは移動時間。
それから着替え。歯磨き。洗顔。
それぞれに時間がかかる。
その合間に“宿題”。
2日に一度は風呂もある。
夜9時には消灯。
それに加えて“仕事”だった。
私は早朝を使おうと思った。
4月になり、夜明けも早くなってきた。
5時前に起きて、その日の入院服に着替え、歯を磨く。顔を洗う。
6時にはパソコンを開く。
そこから1時間は“仕事”に使える。
7時からは院内を歩く。
少なくとも3周、多ければ5周。
病院の廊下を歩く。
自主トレの歩行訓練である。
そしてそのまま8時の朝食に向かう。
さて“仕事”である。
早朝の1時間、である。
私は読んだ。
何度も読んだ。
翌日も、その翌日も。
読めなかった。
まったく手応えがなかった。
内容が、私のなかに入ってこない。
自分で書いたはずなのに。
それでも読んだ。
目が、ただ文章の上をなぞる。
中身はぜんぜん入ってこない。
それでも読んだ。
すると3日目、だっただろうか。
かすかに“スタンス”を感じた。
どういえばいいだろうか。
仕事に挑むスタンス。
おれは仕事をするのだ、という気構えというか。
それを感じた。
自分に、感じた。
あぁおれはこうやって文章を書いていた。
文章に挑んでいた。
思い出してきた。
早朝にひとり、笑みすらこぼれる。
なつかしかった。
翌日。
ようやく原稿が読めた。
頭の中に、内容が入ってきた。
それだけではない。
仕事の1時間を終えても、頭の中には“原稿”があった。
自主トレで廊下を歩いていても、“原稿”があった。
朝食のときも、リハビリの最中も、
頭のどこかに“原稿”があった。
「これだよな・・・」
私はつぶやいた。
頭の中にはつねに原稿がある。
原稿にふれている。
原稿をころがしている。
私は原稿を読み始めた。
朝の1時間はあっという間に終わった。
書き始めたのは土曜日くらい。
しめきりまであと2日。
日曜日には半分くらい書けた。
そして月曜日。
4月10日。
しめきりの日。
一応、最後まで書けた。
だが・・・
私はFさんにメールした。
「あと1日、待っていただけませんか?」
“読む”ことができていなかった。
あらたに書いた文章を、だ。
“書く”ことはできた。
でも“読む”のはまだだ。
書いたら読む。
とことん読む。
そして修正する。
“読み手の私が納得しないと提出できない”
なんて、そんなかっこいいもんじゃない。
不安だった。
ひとつは文章の不安。
文章は果たしてつながっているか。
前後の文章と違和感がないか。
指示通りに書けているか。
的確に書けているか。
もうひとつは脳の不安。
果たして脳は、ちゃんと動いているのか。
岡の、文章なのか。
他人が読んで、心が動くか。
不安だった。
翌日。
4月11日。
Fさんに原稿を送った。
メールで送った。
覚悟を決めて、送った。
それからがたいへんである。
もし「気に入らない」と言われたらどうしよう。
「あ、まだ、だめなのね」
そう思われていたらどうしよう・・・
ライターは、小心者なのだ。
いや失礼。
ライターではなくって私が・・・
脳を患ってからは特にそうだ。
自信がない。
不安でいっぱい。
心の振幅が激しく、感情のリミッターが外れている。
なにより涙もろくなった。
あ、それはまた別か。
とにかく不安で・・・
復帰できるのか。
おれは書けるのか・・・
だがそんな私の心理状態は、Fさんには伝わらない。
翌日。
そのまた翌日。
連絡がこない。
ついに金曜日。
14日を迎えた。
私は我慢しきれずFさんにメールを送った。
「どうでしょう?」
するとすぐに返事が来た。
「私はいいと思うんですが、まだ確認がとれておりません」
代表の長谷川さんの確認だった。
あ〜
でもFさんは「いいと思う」と。
それはそれでホッとした。
ひとりには伝わった。
だけど・・・
翌週の月曜日。
メールが来た。
Fさんだ。
「長谷川さんの確認がとれました。読みながら泣きそうになった、って」