もう一度、小学生

そういえば第1話の終わりに、

「私は生還した」と書いた。

 

だけどそれは今、

つまり“ずっと後になって”思うことである。

 

当時はそんなこと考えなかった。

 

生還?

当然のことだった。

生きてることは当たり前。

だから考えもしない。

 

朝、目が覚める。

歯を磨く。

顔を洗う。

朝食を食べる。

そう。いつも通り・・・・なわけない。

 

まず入院中だ。

我が家ではない。

目が覚めると

改めてその事実に気づかされる。

 

さらに利き腕の右手が一切使えない。

だから左手で歯を磨く。

磨けない。

左手って、こんなにも弱いのか。

初めて気づく。

 

顔も洗えない。

やたら時間がかかる。

 

口の右側が麻痺しているため、

食べ物をぼろぼろこぼす。

 

身体から出ていた管はほとんど取り去られたが、

点滴は、輸液をぶら下げる“点滴スタンド”とともに相変わらずどこにでもくっついて来る。

 

さらに右足が動かないから移動は車椅子。

しかも必ず看護師さんに押してもらわなくてはならない。

食事のときも。

歯を磨くときも。

トイレに行くときも。

そしてリハビリのために

2階のリハビリセンターに行くときも。

 

「生還」に浸るヒマはなかった。

 

それよりどうしたら現状を変えることができるか。

そればかり考えていたように思う。

 

たとえば左手で歯を磨く方法。

左手一本で顔を洗う手順。

左手でスプーンをいかにうまく使うか。

さらに自力で車椅子を動かすにはどうしたらいいか。

 

考えることはたくさんあった。

それは『目標』と言い換えてもいい。

 

私は毎日、ちいさな『目標』に挑んでいた。

落ちこんだり、憂えたり、イヤになったりするヒマはなかった。

 

それに加えて、リハビリである。

 

たとえば12月5日の記録がある。

私は全然覚えてないが、

先生が“記録”に日付を書いてくれている。

 

2016年12月5日(月)。

そう、月曜日。

倒れてから二回目の月曜日。

あたらしい週のはじまりだ。

 

それまで

「自分の名前をひらがなで書けない」とか、

「今日の日付を思い出せない」など、

幾多のまちがいに戸惑い、悩んでいた私に、

先生は新たな課題をぶつけてきた。

 

プリント、である。

 

 

小学生のころ、『プリント』という宿題があった(ように思う)。

いや違うかなぁ。

小学生のころは印刷ではなく、

手書きのガリ版刷り(!)だったから『プリント』とは言わないか。

 

ま、とにかく何やら問題が印刷されて答えを求める『プリント』。

それが私の前に置かれた。

そこには5点のイラストが描かれていた。

 

まず、“氷の入ったグラスとボトル”。

次に“バス”。

3番目は“ポストがくっついた事務所”。

4番目は“杖”。

最後は“おにぎり”である。

 

A4の用紙をタテにして、5点のイラスト。

しかもその『プリント』、

イラストだけが見えるように1/3くらいのところで折ってある。

 

で、先生が聞くのだ。

「名前、わかりますか」

 

【写真_10】(クリックしてください)

 

私は答える。

まずは「お酒」。

​「オ・サ・ケ・・・」

やっとのことで発音する。

先生は容赦なく聞いてくる。

「なんのお酒ですか?」

「・・・ウイ・・・スキー」

「そうです、正解。ではこれは?」

「・・・バス」

「これは?」

「えっと・・・郵便局」

「じゃ、これは?」

「・・・・・・」

(うーん・・・わからん)

 

「杖」が出てこなかった。

 

最後の「おにぎり」は言えた。

だけど「杖」が出てこない。

 

先生は折ってあるプリントを拡げた。

すると5つのイラストに●が付いて、

その右側に同じく●が付いた名前が並んでいる。

しかもランダムに。

 

つまりイラストと、その正しい名前とを線で結ぶ。

それがこの『プリント』の正体だった。

 

正解の中に「杖」を見つけた。

そうか。杖だった。

 

線で結んだら、その右側に正しい名前を書くスペースがとってある。

ひとつの名前に3つずつ。

 

だが私の字は相変わらずヘタで巨大で3つの範囲に収まらず、

2つ書くのがやっとだった。

とくに「郵便局」は、画数が多く、悲劇的に汚い「作品」となった。

 

【写真_11】(クリックしてください)

 

 

まるで小学生だな。

 

私は苦笑するほかなかった。

 

人生を再び小学生から始める。

それもまた一興。

 

こうして『プリント』と戯れる日々がスタートした。