脳が
どこかに・・・
セレンディピティ?
「あ〜これでまたしゃべれる」
「心置きなく、自由にしゃべれる」
そう思った私は、おもわず笑っていた。
治療中ではあるものの、笑いが込み上げてきた。
こころのなかで、だが・・・。
あの解放感。達成感。
それを思い出すだけで笑いがこぼれるのだ。
だけど・・・
その日は、
つまり8月7日の“トリートメント”では
残念ながらその解放感を味わえなかった。
しゃべれなかったのだ。
半年前には、1回の“トリートメント”で、あれだけしゃべれたのに・・・
今回はしゃべれなかった。
なぜだろう。
考えてみた。
考えた末にたどり着いたのが、“基礎体力”であった。
“基礎体力”がなくなっている。
しゃべるために必要な“基礎体力”がなくなっている。
なぜならこの数カ月、私の環境は大きく変わっていたからだ。
まず、しゃべらない。
日常的にしゃべらない。
丸1日、どころか数日にわたってしゃべらないときがある。
ひと言も、である。
それは明らかに“基礎体力”を奪う。
以前はしゃべっていた。
まず週に3回、訪問リハビリの先生が来ていた。
当然、しゃべる。
ある先生は、こてこての広島ファン。
私は押しも押されもせぬ長嶋ファン。あ、だから巨人ファン。
その先生とは毎回、バトルである。
それに加えて会社である。
出社していれば当然、しゃべる。
あいさつはもちろん、冗談も飛ばす。
ま、ウケてたわけじゃないけれど・・・笑
それに週2回は、近くのコンビニ『ナチュラルローソン』に通っている。
そのスタッフも3〜4人は顔見知りで、あいさつをする。
しゃべったりもする。
さらに毎週金曜日は『ひろの亭』である。
いま考えると、ふつうにしゃべっていた。
もちろんたどたどしいものの、なんとかしゃべっていた。
それがコロナである。
コロナは日常を変えてしまった。
まず訪問リハビリを遠慮した。
会社も“テレワーク”で、行かなくなった。
変わらないのは唯一、
毎週金曜日の『ひろの亭』。
それに『ナチュラルローソン』でのあいさつだ。
それが数カ月、つづいた。
するとまず“声”が、出なくなった。
たとえば「ひとりごと」を口にしてみる。
「ひとりごと」と、言ってみる。
声はちいさく、その音は高い。
甲高いといってもいいくらいだ。
この状態は経験がある。
リハビリ病院を退院したときの声だ。
私の声はずいぶん高く、かすれていてちいさかった。
つまり3年前に戻っている。
もちろんしゃべりも完全に不自由。
ますますたどたどしい。
つまり“しゃべりの基礎体力”がなくなっていたのだ。
しかも半年前とは比べものにならないくらい。
それに私は気づかなかった。
いや、気づいてはいた。
ただ、どうしようもなかった。
対処のしようがなかった。
だからどんなに『歯茎の反射区トリートメント』がすばらしくても、
丸山さんの手が“神業”だったとしても、
効果は限られている。
すぐには効果が出ない。
そうか。
そうだよな。
でも、あきらめない。
なぜなら、対処の方法がわかったのだ。
思わず笑っちゃうほどの体験。
『デンタルリフレクソロジー』。
だったらあきらめるわけにはいかない。
だって「しゃべる」ことは、私の仕事、
もっと言えばアイデンティティにそのまま直結していたからだ。
“書く”ことだけじゃなく、“しゃべる”ことも?
そうです。
“しゃべる”ことは、“取材”に直結している。
たから“書く”ことだけじゃなく、
“しゃべる”ことも
本当は欠かせないリハビリだったのです。
そこで継続的に“トリートメント”を受けつづける。
そういう結論に達した。
だけど、と思う。
もし、丸山さんに出会わなかったら。
もし、ナオコ先生に『デンタルリフレクソロジー』を勧められなかったら。
どうなっていただろう。
私は未だにすべてを“脳”のせいにしていただろう。
“脳”に、“脳”だけに、すべての意識は集中していた。
半身麻痺も、失語症も“脳”のせい。
“書く”ことができないのも“脳”のせい。
“しゃべる”ことができないのも“脳”のせい。
ああなったのもこうなったのも“脳”のせい。
不自由さも生きづらささえも、すべて“脳”がわるいんだ・・・
だけど・・・
気づいた。
気づいたのだ。
“脳”が、すべてではないことに。
私の身体にはいろんな目詰まりが起きている。
そしてそれは、“脳”とはまたべつのところで起きている。
そこに気づいた。
『デンタルリフレクソロジー』は、それを気づかせてくれた。
“脳”に直接アプローチするわけではなく、
歯や首といった外部の“トリートメント”で身体の“目詰まり”を改善する。
そこに気づくと、
一気にいろんなことが見えてくる。
たとえば右半身麻痺。
おおもとは“脳”のせいかもしれない。
だけど右腕は、リハビリのおかげで動き始めている。
まだ、肩がちょっと動くだけだが。
それは“脳”の改善の結果だとは思えない。
それよりもきっと右肩の“目詰まり”が、
少しずつ改善しつつあるのだ。
そして“声”。
しゃべるには欠かせない要素である“声”。
これがうまく出ないのも“脳”のせいなのだろうか。
おそらく、ちがう。
“脳”のせいではない。
いや、そう考えたわけではない。
たまたまネットで情報を得た。
声を出すには“筋肉”が必要だ、ということを知った。
つまり声を出すのは、“脳”の機能ではなく“筋肉”。
そんなこと、考えてもいなかった。
声を出す。
そのために人間の身体は“筋肉”を発達させてきた。
“声帯”ではない。
声を出すための筋肉。
これを『声筋』と言ってる先生がいる。
渡邊雄介さん(音声言語医学の先生)だ。
たくさんの著書もある。
その『声筋』のトレーニング法が、ウェブ上に出ている。
だからいま、試している。
私の声は、復活するのか。
『声筋』のトレーニングと、
『デンタルリフレクソロジー』で
しゃべれるようになるのか。
見ものである。
しかし、これまでとは全然別のアプローチである。
しゃべれない。
=失語症。
=脳機能の破損。
よって治らない、かも知れない。
少しでも改善するには“言語聴覚士”のサポートが必要。
これが正統派の治療法だ。
リハビリ病院にいるころは“言語聴覚士”の先生がついてくれた。
だけど退院してからは、そういうサポートがない。
よって“失語症”の治療は進展しない。
どうしよう。
もうあきらめるか。
ま、とにかく文章に関しては“治療法”を考えた。
『ツタブン』という“治療法(?)”を、考えた。
だから、もういいか。
しゃべることに関しては、いいかな。
これから生涯、“取材”はできないけれど。
ま、しょうがないか。
それよりまず“書く”こと。
文章。
それが最優先・・・
そう思っていた。
ところが、『デンタルリフレクソロジー』である。
半年前、確かに私の「しゃべり」は復活した。
一時的ではあるが、復活の手応えを感じた。
びんびんに、感じた。
そう思っていたら今度は『声筋』のトレーニングである。
なんと、人生、必要だと思っていたら必要なものが手に入るものだ。
これって、セレンディピティ?
とにかくこうして、私は「しゃべること」に対する“治療法”を見つけた。
それが正しいかどうかはわからない。
が、とにかく挑戦してみる。
一歩ずつ、歩んでいく。
自分を信じて、一歩ずつ。