​“素人”でも書けるヤツはいる

 

 

「彼を採用して、ライターに育てる」

 

私のなかで覚悟はできた。

「プロのライターに育てる」

 

なにしろ“彼”は退職したのだ。

退路を断ったのだ。

有名な大企業の、“エンジニア”という職を投げ捨てたのだ。

そうまでして“彼”は、「ライターになりたい」と思ったのだ。

その思いに、応えなくてどうする。

 

うん。

まぁわかる。

気持ちはわかる。

 

だけど、どうやって?

 

ライターといっても

“資格”があるわけではない。

“学歴”がモノをいうこともない。

「さぁ今日からあなたはライターです」

なんてこと、あるわけない。

 

でも・・・

 

応募から数カ月。

私は“彼”を見つめてきた。

見つめるどころか、積極的に関与してきた。

 

課題に沿って文章を書いてもらい、

その文章を“添削”する。

 

偉そうに・・・

(いま、書いていて思う。ごめん。わるかった。ゆるして・・・)

 

でもこれは現実だ。

現実に私は“添削”をしていた。

「エラそうに」「ナニサマのつもりだ」

ご批判はわかる。

私も(いま考えると)そう思う。

でも・・・

 

私は“添削”した。

していた。

しかもそれに“彼”はついてきた。

 

 

ま、若かった。

“彼”も、そして私も。

 

 

たとえばこれは私の、

“彼”に対する返信である。

日付は2003年1月7日。

 

今回の文章は、これまでのなかで最も良かったように思います。

――さんは、伝えるべきポイントを的確に把握している。

それが、感想です。

文章そのものは、まだ粗削りな部分も目立ちますが、

初めてコピーを書いて、これだけポイントが押さえられていれば

まず、プロの入り口には立てると思います。

 

(やっぱりエラそう)

 

でも、“彼”の文章は変化していた。

当初から比べると大きく変化していた。

 

じゃあどう変化したのか。

 

端的に言えば、“他者への意識”である。

 

最初、彼の文章は“自意識過剰”気味だった。

 

「自分はこれだけの知識があるんです」

「ほら、こんなことも知っています」

 

「自分はこんな視点を持っています」

「けっこう新しい視点でしょ」

 

でも、次第にその自意識の部分が薄れていく。

変わって出てきたのが“他者への意識”。

つまり“読者”への意識。

 

そして最後、

私が採用を決めた文章はほとんど“コピーライター”・・・

 

 

不思議だった。

 

わずか数カ月で、こんなにも変わるものか。

 

私は“彼”のポテンシャルに驚いた。

 

もちろん入社後、

“彼”は“コピーライター”として大活躍してくれた。

 

         ●

 

スミマセン。

ずいぶん回り道をしてしまいました。

 

で、2005年の話です。

(あ、『ツタブン』についての話です、って覚えてますか笑)

 

きっかけは2005年。いまから15年前。

 

セイファートが打ち出した施策。

「ライターを採用する」

しかも「“素人”の・・・」

 

その施策は“彼”の成功に根ざしている。

 

当時の私の信念。

それは「素人でも書けるヤツはいる」。

 

根拠は・・・

 

ある。

 

当初、セイファートの広告制作の

歴史をつくった2名の“ライター”。

“彼”と、その2年前に採用した天才・“彼女”の存在だ。

 

2人とも採用する前は、正真正銘の“素人”だった。

その“素人”が、プロのライターとして活躍する。

 

痛快だった。

 

「ライター・経験3年以上」

 

募集要項に、そう書いている出版社や広告会社のみなさん。

ごめんなさい。

ウチは「素人」でけっこう。

 

(またまたエラそう・・・)

 

てゆーか、みんな最初は“素人”だったはずだ。

どんなライターも、コピーライターも

最初は“素人”。

 

じゃあ聞くが、「経験3年以上」ってなんだ。

「みんなが最初に3年の経験を積む。そこはいったいどこなのか」

 

なんて(笑)

 

ま、冷静に考えるとわかります。(考えなくてもわかります)

新卒で出版社や広告会社に入ること。

 

当たり前です。

 

だけど、と思うのです。

途中から「ライターになりたい」と思った人はどうする。

新卒のとき以外に、その道は開かれていないのか。

ほんとうはライターなんて、

いろんな経験を積んできたほうがいいものが書ける、とか。

 

と、ここまで書いてきて思うのです。

 

ま、そんなヤツはどんなことをしても

結局“ライター”になる。

新卒じゃなくても、素人でも、どこからでも

結局“ライター”になる。

 

“ライター”になるための道なんか、開いてはいない。

新卒で出版社や広告会社に入っても、

誰もが“ライター”になれるわけじゃない。

 

だけどなる人は、なる。

結局、なる。

そういう人は、自ら“道”を開いていく。

 

そしてその裏には

「ライターになりたかった」人がいる。

「ライターにはなれなかった」人が、無数にいる。

“道”を開けなかった人が、いる。

あるいは“道”を開かなかった人が、いる。

 

あぁ・・・

 

またズレている。

本線を外れて支線に入ってる。

 

そう。

 

2005年の話です。

(あ、時間だ。このサイトにアップする時間)(その話は・・・また来週ですね。スミマセン)