脳が
どこかに・・・
最初の10行は、いらない。
賭けに勝った。
「15分」と言われたタイムリミット。
だが、その制約はいつの間にか霧消する。
社長と、取材する私。
ふたりの間でのみ、無視された。
結局、1時間超。
途中、秘書らしき女性がなんどもメモを渡しに来た。
だけど社長はしゃべった。
夢中でしゃべった。
思いの丈を、しゃべった。
●
書いた。
賭けに勝った余勢を駆って、書いた。
読んだ。
書いたら読む。
何度も読む。
この文章は、本当に世に出せるのか。
社長の言葉を、想いを、表現し尽くしているのか。
読んでは書き、書いては読んだ。
そうして原稿ができ上がった。
私は待ちきれない気分でセントラルアパートに向かい、Yさんに手渡した。
当時、原稿は手書きである。
200字詰めの原稿用紙に2Bの鉛筆で書く。
私の原稿は、おおむね3回の下書きと、
さらに3回の清書ででき上がっていた。
最低3回の下書きで「ほぼだいじょうぶだろう」と清書に入る。
だがその清書も、書いてるうちに直したくなる。
それで清書もまた3回。
非効率である。
もっとスラスラと書ければ、仕事もたくさん受けられるのに・・・
明け方までずっと書いてる、なんてこともなくなるだろうに・・・
なんてことは考えなかった。
「誠実に」
「真面目に」
私には才能がない。
才能のかけらもない。
沢木さんや山際さんとは比べものにならないくらい、才能がない。
(比べることがそもそも失礼だ。スミマセン)
だから人の何倍も時間がかかる。時間をかける。それは当然のことだ。
今から33年前。
ワープロなんて普及してなかった。
ましてやパソコンなんて・・・
だから手書き。
加えて“納品”も手渡しである。
メールなんて便利なものはなかった。
Faxは、自宅に置くにはまだ高価だった。
バイク便もなかった。
私はセントラルアパートに赴き、
原稿を直接、Yさんに渡した。
●
一読して、Yさんはむずかしい顔になった。
何も言わず原稿をとなりのMさんに渡す。
Mさんも読み、Eさんに見せる。
こうして私を支えてくれた3名の女性たちが原稿を読んだ。
「どぉ?」
私はたまらず聞いた。
Yさんはもう一度、読んだ。
そして一言、こう言ったのである。
「あのさ・・・最初の10行、いらないんじゃない」
えっ。
絶句した。
最初の10行って、導入の文章じゃないか。
そこにこそ岡が出ているのに・・・
「いらないね」
他の2人も追い打ちをかける。
「うん、いらない。だって岡くさいし」
「そうだよね、岡くさい」
愕然とした。
こいつらなんなんだ。何様なんだ。
●
導入の文章は絶対必要だと思っていた。
内容とは一見関係なくみえても、じつは根底ではつながっている。
そう思った。
3人に怒りすら覚えた。
だが・・・
私はライターだった。
外注の“業者”だった。
発注者はYさん。
だからYさんは絶対権力者。
年下だろうと関係ない。
Yさんがダメだと言えば、ダメ。
でも・・・
私は席を立った。
無言で、立った。
そのまま原宿の街に出た。
怒りを抑えられなかった。
なんでわかってくれないんだ。
最初の10行だと?
そのたいせつさがわからないのか。
最初の10行にこそ想いを込めているんだ。
それを岡くさい、だと。
なんなんだ。
ぶつぶつ言いながら、表参道を歩いた。
そしてひとつめの歩道橋を上った。
●
歩道橋の上からは、無数の若者たちが歩いているのが見えた。
私は心のなかで呼びかけた。
ほんとにひどいんだ。
あの子たち、おれの原稿を理解してくれない・・・
若者たちは過ぎていく。
私の目の前から去って行く。
だけど人の流れは尽きない。
原宿には、別の若者たちが湧き出してくる。
ひどいんだ。
おれより年下なのに、おれを否定する。
もっと年上を尊重しろ。
おまえらもっと勉強しろ・・・
若者は途切れない。
多くは笑顔である。
私の怒りなど関係ないというように、笑顔である。
と、そのとき・・・・・
ふと、疑問が湧いた。
この人たち、いくつなんだろう?
20歳?
その前後か・・・
私は自分を振り返った。
20歳のころの自分。
何もできなかった自分・・・
・・・あっ
この若者たちが、“読者”。
リクルートブックの“読者”。
新卒の大学生と同世代の“読者”。
そしてあの3人も、“読者”と同世代。
ということは・・・
おれが書いたのは、
彼ら“読者”には伝わらない原稿だ、ということになる。
くそっ。
セントラルアパートに戻り、Yさんに言った。
「原稿、削る」
●
それまで
“読者”は私だった。
書いては読む。何度も読む。
そうしてできあがるのが私の原稿だった。
だから“私には”伝わる。
当然、伝わる。
だが“読者”は別にいた。
まったく別のところに、いた。
以前、私は書いた。
―――ただ、私には妙な自信があった。それは「読んでくれれば伝わる」。なぜなら私が「読んで」いるからだ。
―――私はコピーを書いてもそのまま提出はしない。まず「読み手」の私が納得しないと提出しない。逆に言えば「読み手」の私が納得したもののみが、私のコピーとなる。
恥ずかしい。
自己満足、ここに極まれり。
だが私は
ライターになって初めての仕事で、3人の女性たちに教わった。
あなたが“読者”じゃない。
私たちが“読者”よ。