脳が
どこかに・・・
伝えたのは「仕事の獲り方」
アルバイト募集。
コピーライター。
経験不問・未経験者歓迎。
効果は、あった。
履歴書は全国から集まった。
私は選考を始めた。
(どうやって?)
応募者には、履歴書とともに“文章”を書いてもらっていた。
『応募動機』。
これで選考する。
文字数、自由。書式も自由。
手書きでもワープロでもオッケー。
この対応で、まず応募者のセンスがわかる。
たとえば文章のスタイル。
フォント。Q数(Pt)。修飾のあれこれ。
あるいはレイアウト。
それから最も大切なこと。
“文章”。
この人は書けるか。
文章が、書けるか。
それを吟味する。
そのときの基準。
それはまず「読みやすいか」。
つまりだれでもわかる文章が書けるか。
欲しいのは“コピーライター”だ。
“小説家”を採用するわけじゃない。
同時に、言いたいことが「伝わる」か。
あなたは何を言いたいのか。
何を伝えたいのか。
『応募動機』を読めば、それがわかる。
結果、『6人』の若者が仲間になった。
男子・4名。女子・2名。
いずれも20代の、“素人”。
なかには九州・福岡から応募してきた人もいた。
「東京に引っ越します」
そういうメールを送ってきた彼。
“応募動機”はしっかりしていた。
というか「おもしろかった」。
だけど・・・
九州から出てくる。
東京に出てくる。
今の仕事を辞めて、出てくる。
私は確認した。
「アルバイトですよ」
「3年経っても、ライターになれるとは限りませんよ」
「それでもいいですか?」
何度も確認した。
「それでもいい」と彼。
うーん。
いま、書いていて思う。
これ、もしかして若者をだまくらかしている?
いやもちろんそんなつもりはない。
私としては誠実に対処している。
ただ・・・
そういうことを言う時点で、なんか怪しい。
なんか最近の政治の世界のようではないか。
そのようなつもりはいっさいございません。
ただ誤解を招いたとすれば、お詫びしたいと思います。
(ま、置いといて・・・)
結局、彼は6人のなかのひとりになった。
さて次は彼ら“素人”を、どうやってプロのコピーライターに育てるのか。
・・・思い出せない。
6人が入社した。
アルバイトで、入社した。
そこまでは覚えてる。
ただ、それからのことがいっさい思い出せないのだ。
やっぱり脳が弱ってる。
いや、ただの健忘症。
いやいや単に歳をとって覚えてないだけ?
2005年。
いまから15年前。
うーん。
とにかく覚えてないのだ。
ただ、唯一「仕事の獲り方」を伝えたこと。
それは覚えている。
私は全員に言った。
「君たちに仕事はない。与えられるものじゃない。獲ってこい。営業スタッフのもとに行って獲ってきなさい」
まぁずいぶんな言い草だ。
20代前半の、まったくの素人に「仕事は自分で獲ってこい」と。
でも私は「獲ってくる」方法もあわせて言った。
「まず営業と仲良くなれ」と。
「仲良くなって、営業に仕事をもらって、自分の作品をつくれ」
「それをファイルに貯め込んで、自分の“作品集”をつくれ」
「そして3年後、その作品集をもって出版社や制作会社に売り込め」
プロになったら、仕事は自分で獲ってくるしかない。
だれも与えてはくれない。
“他人に与える仕事があるのなら、自分でやる”。
それがプロの世界だ。
だから仕事は獲ってくる。
社内でも獲ってくる。
人より先に、獲ってくる。
それをやっておかないと将来、彼らは「ライターとして」生きていけない。
彼らは「3年後に辞めていく」。
それが採用の条件なのだ。
辞めてどこかに「ライターとして」雇用してもらう。
あるいは辞めて、「ライターとして」独立する。
だから・・・
私はコピーのことなど一度も教えなかった。
それよりなにより人間関係。
コピーの書き方より、営業スタッフとの人間関係。
コピーの“うまいヘタ”は主観の問題だ。
たとえだれもが「うまい」というコピーが書けても、それを使ってもらえる環境がなければ闇に消える。
つまりこういうことだ。
売れない“ライター”はいる。
売れない“小説家”もたくさんいるだろう。
だけど“売れない”コピーライターはいない。
コピーライターは“売れない”時点で、廃業するしかないのだ。
だからまず営業。営業との人間関係。
だって仕事をくれるのは営業だから。
営業が、仕事を獲ってきてくれるのだから。
逆に営業との関係が築けなければ、その人は終わる。
どこかでライターになれたとしても、長続きはしない。
だからこそ営業との人間関係だけは、言ってた(ような気がする)。
あ、それから毎月、「獲ってきた仕事」をすべて見させてもらった。
そしてアドバイスをしていた。
つまり“結果”。
書き方を教えるのではなく、書いた結果にアドバイスする。
それくらいかな。
いま、書いていて思う。
結局、彼らには『新人研修』とか『ライター研修』みたいなことはしていない・・・
ひどい。
でも・・・
思い出した!
彼らとはよく呑みに行ってた。
会社の近くに、何軒か馴染みの店があった。
そのなかのひとつ。
「はし田屋」での出来事である。