​『BIGI』の社長にインタビュー

 

 

沢木耕太郎は私の“基礎”をつくってくれた。

 

(今回も昔の話です)

 

私は沢木耕太郎の本と出会い、

むさぼるように読み、

ライターを志した。

正確には“ルポライター”を志した。

 

もうひとり、憧れたライターがいた。

山際淳司。(故・山際淳司)。

彼もまた私をライターへと誘った。

“スポーツ”を文章化する。

その方法に、つよく憧れた。

 

両者ともに“広告”とは無縁だった。

だが、私にとっての“先生”は両者であった。

糸井重里より、仲畑貴志よりも両者であった。

私は広告のなかに、両者の手法を取り入れたいと思った。

取り入れることは可能なのか、なんて考えなかった。

可能だ、と思い込んだ。

 

「学生に誠実であろう」

そう思えば思うほど、その考えに取り憑かれた。

 

「ホントを書こう」

だったら“ルポルタージュ”。

 

「ウソは書かない」

だからこそ“ノンフィクション”。

 

 

私は、おそらく扱いにくかったと思う。

社内だけでなく社外の人々も。

 

とくにコピーライターの方々には思われていただろう。

「こいつ何を言ってるんだ」と。

 

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「広告は化粧をすることだ」

それは私を鍛えてくれた先輩ディレクターの口ぐせだった。

「元を変えることはできない。だけど化粧をすることで、元をより魅力的に見せることができる」

 

半分、理解した。

しかし残りの半分はどうしても理解できなかった。

 

“化粧”って、まやかしじゃないのか。

一歩間違えば“ウソ”になる。

というより初めから限りなく“ウソ”に近いのではないか。

それは“誠実”ではないじゃないか。

 

しかし私は先輩に、自分の違和感をぶつけたりはしなかった。

それより確かめたかった。

 

「私の考えは正しいのか」

 

そのために私は“制作ディレクターの立場”を使った。

社外の、プロのコピーライターを使って試した。(スミマセン)

 

コピーライターは戸惑いながらも理解してくれた。

多くの人が協力してくれた。

だが、上がってきた原稿は満足できなかった。

 

この広告はルポルタージュになっているのか。

取材は十分なのか。

取材に忠実なのか。

学生に誠実なのか。

 

どれもが中途半端に思えた。

だから直した。

私が、直した。

私が満足するまで直した。

(当時のコピーライターのみなさん、ほんとうにすみません。あのころの私はものすごく生意気で、失礼なディレクターでした。ホントにすみません)

 

私は自分で直すことに“満足”していた。

自分は仕事に“誠実”に取り組んでいる。

そう思っていた。

しかしそれは自己満足でしかなかった。

 

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1985年7月。

私はディレクターを“卒業”し、コピーライターになった。

つまりフリーランスのライターとして“独立”した。

そのとき28歳。

 

ディレクターでは満足できなかった。

しかも、どうせ直すのなら自分で書いた方がはやい。

(最悪ですね。いま考えれば最悪。高慢ちきというか・・・スミマセン)

 

 

独立はリスク・・・じゃなかった。

もちろん展望があるわけではない。

生活設計など一切なし。

でもそれでよかった。

 

私を支えてくれた3人の女性たちは

「しょうがないから仕事は出してあげるよ」と。

「でも使えないと思ったらそれで終わりね」

いやそれで十分。

それよりなにより念願の“ライター”になれるのだ。

 

 

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初めての仕事は3人の女性のうちのひとり、Yさんの発注だった。

クライアントは『BIGI』。

一世を風靡したアパレルメーカーである。

 

『BIGI』は、

いわゆる“DCブランド”の旗手だった。

 

「ファッションに全く詳しくない人だから岡さんを選んだ」

後にリクルートで賞をもらった際、Yさんが述懐していた。

 

文字通り私はダサい男で、ファッションとは無縁の男だった。

その私が『BIGI』を書く。

しかも社長にインタビューする。

 

これはYさんにとって冒険だった。

もちろん私にとっても。

 

 

インタビューは得意(?)だった。

“誠実”に書くため、取材にはもっとも力を入れていた。

ディレクター時代の1年半。

もっと言えば営業時代の1年もインタビューばかりやっていた。

 

だけど当日。

代官山(猿楽町)の『BIGI』本社。

大学生の採用のために社長(の周囲)が用意してくれたのは、15分だった。

 

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忙しい社長だった。

しかもマスコミ嫌い。

インタビューに応えるだけでも“奇跡”だと言われていた。

 だけど私は思っていた。

 

「15分で聞けるわけがない」

 

だから勝負。

ライターと社長の一騎打ち。

社長がインタビューを「おもしろい」と思えば時間は延ばせる。

思わなければ15分でシャットアウト。

 

それは“賭け”だった。

 

ドキドキとワクワクが交錯しながら、インタビューは始まった。

 

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「遺伝子工学の研究者がほしいんです」

 

それは私の予想をはるかに超えた一言だった。

その一言から、インタビューは急展開を始める。

 

幸運にもファッションの話題は出てこなかった。

それより理系の話。

それは私の得意分野。

たとえば“蘭”を研究する。

『BIGI』の服に合った“”を、つくり出す。

そのために、遺伝子工学の研究者がほしい。

 

15分はいつのまにか過ぎていく。

秘書の女性が何度もメモを社長に差し出す。

次の予定が入っているのだ。

でも社長はインタビューに夢中だった。

私も、夢中だった。

 

結果的には1時間超。

 

私は“賭け”に、勝った。