脳が
どこかに・・・
『BIGI』の社長にインタビュー
沢木耕太郎は私の“基礎”をつくってくれた。
(今回も昔の話です)
私は沢木耕太郎の本と出会い、
むさぼるように読み、
ライターを志した。
正確には“ルポライター”を志した。
もうひとり、憧れたライターがいた。
山際淳司。(故・山際淳司)。
彼もまた私をライターへと誘った。
“スポーツ”を文章化する。
その方法に、つよく憧れた。
両者ともに“広告”とは無縁だった。
だが、私にとっての“先生”は両者であった。
糸井重里より、仲畑貴志よりも両者であった。
私は広告のなかに、両者の手法を取り入れたいと思った。
取り入れることは可能なのか、なんて考えなかった。
可能だ、と思い込んだ。
「学生に誠実であろう」
そう思えば思うほど、その考えに取り憑かれた。
「ホントを書こう」
だったら“ルポルタージュ”。
「ウソは書かない」
だからこそ“ノンフィクション”。
私は、おそらく扱いにくかったと思う。
社内だけでなく社外の人々も。
とくにコピーライターの方々には思われていただろう。
「こいつ何を言ってるんだ」と。
●
「広告は化粧をすることだ」
それは私を鍛えてくれた先輩ディレクターの口ぐせだった。
「元を変えることはできない。だけど化粧をすることで、元をより魅力的に見せることができる」
半分、理解した。
しかし残りの半分はどうしても理解できなかった。
“化粧”って、まやかしじゃないのか。
一歩間違えば“ウソ”になる。
というより初めから限りなく“ウソ”に近いのではないか。
それは“誠実”ではないじゃないか。
しかし私は先輩に、自分の違和感をぶつけたりはしなかった。
それより確かめたかった。
「私の考えは正しいのか」
そのために私は“制作ディレクターの立場”を使った。
社外の、プロのコピーライターを使って試した。(スミマセン)
コピーライターは戸惑いながらも理解してくれた。
多くの人が協力してくれた。
だが、上がってきた原稿は満足できなかった。
この広告はルポルタージュになっているのか。
取材は十分なのか。
取材に忠実なのか。
学生に誠実なのか。
どれもが中途半端に思えた。
だから直した。
私が、直した。
私が満足するまで直した。
(当時のコピーライターのみなさん、ほんとうにすみません。あのころの私はものすごく生意気で、失礼なディレクターでした。ホントにすみません)
私は自分で直すことに“満足”していた。
自分は仕事に“誠実”に取り組んでいる。
そう思っていた。
しかしそれは自己満足でしかなかった。
●
1985年7月。
私はディレクターを“卒業”し、コピーライターになった。
つまりフリーランスのライターとして“独立”した。
そのとき28歳。
ディレクターでは満足できなかった。
しかも、どうせ直すのなら自分で書いた方がはやい。
(最悪ですね。いま考えれば最悪。高慢ちきというか・・・スミマセン)
独立はリスク・・・じゃなかった。
もちろん展望があるわけではない。
生活設計など一切なし。
でもそれでよかった。
私を支えてくれた3人の女性たちは
「しょうがないから仕事は出してあげるよ」と。
「でも使えないと思ったらそれで終わりね」
いやそれで十分。
それよりなにより念願の“ライター”になれるのだ。
●
初めての仕事は3人の女性のうちのひとり、Yさんの発注だった。
クライアントは『BIGI』。
一世を風靡したアパレルメーカーである。
『BIGI』は、
いわゆる“DCブランド”の旗手だった。
「ファッションに全く詳しくない人だから岡さんを選んだ」
後にリクルートで賞をもらった際、Yさんが述懐していた。
文字通り私はダサい男で、ファッションとは無縁の男だった。
その私が『BIGI』を書く。
しかも社長にインタビューする。
これはYさんにとって冒険だった。
もちろん私にとっても。
インタビューは得意(?)だった。
“誠実”に書くため、取材にはもっとも力を入れていた。
ディレクター時代の1年半。
もっと言えば営業時代の1年もインタビューばかりやっていた。
だけど当日。
代官山(猿楽町)の『BIGI』本社。
大学生の採用のために社長(の周囲)が用意してくれたのは、15分だった。
●
忙しい社長だった。
しかもマスコミ嫌い。
インタビューに応えるだけでも“奇跡”だと言われていた。
だけど私は思っていた。
「15分で聞けるわけがない」
だから勝負。
ライターと社長の一騎打ち。
社長がインタビューを「おもしろい」と思えば時間は延ばせる。
思わなければ15分でシャットアウト。
それは“賭け”だった。
ドキドキとワクワクが交錯しながら、インタビューは始まった。
●
「遺伝子工学の研究者がほしいんです」
それは私の予想をはるかに超えた一言だった。
その一言から、インタビューは急展開を始める。
幸運にもファッションの話題は出てこなかった。
それより理系の話。
それは私の得意分野。
たとえば“蘭”を研究する。
『BIGI』の服に合った“蘭”を、つくり出す。
そのために、遺伝子工学の研究者がほしい。
15分はいつのまにか過ぎていく。
秘書の女性が何度もメモを社長に差し出す。
次の予定が入っているのだ。
でも社長はインタビューに夢中だった。
私も、夢中だった。
結果的には1時間超。
私は“賭け”に、勝った。