脳が
どこかに・・・
“引き算”ではなかった
25歳の私は、リクルートの営業マン(アルバイト)としてある会社に“営業”に赴きます。
企業の新卒採用のため、“リクルートブック”に掲載していただく。
それが私の仕事でした。
1983年。
もちろんインターネットなどはなく、
たから就職活動をサポートするウェブサイトもなく、“検索”もない時代。
大学生は就職先を探すために
自宅に大量に送られてくる“リクルートブック”を使っていました。
“ブック”というからには、文字通り“本”。
紙でできた“本”。
当時の就職活動は、
その“本”を1ページずつめくりながら就職先を探していました。
さて私です。
営業です。
私は“売れない”営業マンでした。
商談のまえに、まずアポイントが取れない。
毎日、断られることばかり。
断られると落ち込む。
すると電話をかける気も失せる。
そんな気持ちをなんとか奮い立たせて、電話をかける。
すると3日の一度くらいの割合で、アポイントが取れたりする。
これから披露するのは、そのなかのエピソードです。
アポが取れない私にとっては、貴重なエピソードなんです。
では始めましょう。
●
その会社は目黒にあった。
従業員は6人。
全部で6人。
最初にそれを聞いたときは動揺した。
せっかく取れたアポなのに。
6人では、まだ新卒採用は無理だろう・・・
だが、私は社長の話を聞いた。
営業はひとまず横に置いて、聞いた。
社長には“夢”があった。
“夢”を語った。
自分たちの技術のこと。
それが世の中をきっと変えていくこと。
しかもそれはまったく新しい技術。
だから既成概念のない新卒の、しかも理系の学生が欲しい・・・
私は営業のことをすっかり忘れていた。
それほど話はおもしろかった。
私はひとりの“ライター”として、その話を聞いていた。
夢中で聞き終えたあと、私は思わず言っていた。
「その話、私に書かせてください。そのまま学生に聞かせましょう」
●
その発言が、ふたつの“その後”を形成する。
ひとつは“受注”。
社長は私を信頼してくれた。
「頼みます」と言ってくれた。
ひたすら聞くだけで、ほとんど営業をしなかった私に契約書を書いてくれた。
もうひとつは帰社してからの出来事だ。
渋谷営業所は歓喜に包まれていた。
「売れない岡が契約をいただいてきた!」
それはお祭りのような騒ぎであった。
(ま、リクルートでは当時、ちょっとしたことでもお祭りになるのだが・・・)
高揚した私は、そのままのテンションで先輩ディレクターに言った。
「で、この会社、私に書かせてください」
もちろん私はコピーライターではない。
コピーは書けると、社内で認められてもいない。
でも、書ける。きっと書ける。
しかも私は社長に言ってきたのだ。
「私に書かせてください」と。
それに対する回答は
「はぁ?」
それが第一声である。
ディレクターは半ば呆れたようにそう言った。
私はめげずに言った。
「いや、私に書かせてください。社長にもそう言ってきたんです」
するとディレクターは営業所に響き渡る大声で言い放った。
「なに考えてるんだ。おまえの仕事は営業だ。制作じゃない」
●
まぁ、当然です。
ディレクターは正しい。
そして私は・・・
(いまの私からみれば)
「岡の野郎、なにいってるんだ」である。
「おととい、きやがれ!」
●
結局、私は書かせてもらえなかった。
原稿制作はプロダクションに任された。
多忙な制作プロダクションであった。
なかなか仕事は頼めなかった。
だが、ディレクターのたっての希望で仕事をねじ込んでくれた。
発注の際には私も加わった。
私が書こうとしていた社長の話。
それを正確に伝えるのだ。
数日後。
原稿が上がってきた。
イラストとコピー。
とてもシンプルな構成だった。
イラストは社長。
コピーは社長の言葉。
いわゆるメッセージ広告だった。
●
“コピーは短く”
私はつねにその言葉とともにいた。
長い文章をどれだけ短くできるか。
ディレクターに言われるまでもなく、何度も挑戦していた。
長い文章を短くする・・・
私はそれを“引き算”だと思っていた。
書きたいことは山ほどある。
だが、すべては書けない。
広告のスペース上、書けない。
しかも読者は長い文章を読まない。
だから引く。
10コあるうち3コ引く。5コ引く。
そして残ったものを書く。
そう思っていた。
それが短いコピーの書き方だ、と。
だがプロダクションがつくった広告はちがった。
本質はひとつ。
ひとつに絞る。
そのひとつを、
ひとつだけを言う。
1コだけを書く。
その思い切りの良さ。歯切れの良さ。
しかも不思議なことに社長の思いはそれで伝わる。
ストレートに伝わる。
むしろ1コの方が伝わる。
“引き算”ではなかった。
たとえば、
書きたいことはもっとあるのにスペースの問題で書けない。
そんな後ろ髪を引かれるような文章。
それが私のコピー。
だけどプロダクションのコピーはちがった。
堂々としていた。
快活であった。
社長の語り口の小気味の良さが、自信が、
技術への信頼がそのまま出ていた。
「あぁ、これがプロ・・・」
私は「書かせてほしい」などと言った自分を恥じた。
“リクルートブック”が発行された。
その約一カ月後、
私は担当“営業”として社長に電話。結果を聞いた。
「すごいよ、岡さん。2名、採れたよ。しかも早稲田と学習院だよ」
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成功、である。
営業としては“成功”。
もちろん相手の社長にとっても・・・
その“成功”が、私の仕事を根本から変えることになる。
あ、その話は、来週にします。