新入社員との“勝負”

 

「もしかしたらみんなの役に立てるかもしれない」

 

そう思った。

そう思うことに、私はすがった。

 

客観的にみると、私は“役立たず”であった。

 

主観的にみても“役立たず”。

 

自分では“そんなことはない”と思いたい。

でも、

「じゃあ何ができるの」と言われたら言葉に詰まる。

 

やっぱり私は“役立たず”であった。

 

しかし会社は、

社員はそんなことおくびにも出さない。

出社すると、みんなフツーに接してくれる。

それが何よりありがたい。

 

だけど私はどうなのだ。

なにか会社に貢献してるのか。

 

 

私は悶々としていた。

特に“監査役”の任期が終わる今年の春までは、つねに考えていた。

「これからどうやって生きていこうか」と。

 

でも、正直に言おう。

悶々としていたのは頭の半分。

のこりの半分は別のことを考えていた。

 

「ま、なんとかなる」

 

恐縮である。

まじめな人にとっては「なにを考えてるんだ」である。

だけど、

申し訳ないけど、

脳が弱っていた。

 

頭の半分といったけど、

左半分はそもそも機能していない。

出血があった左脳は、多くが機能していない。(きっと)

その弱った左脳で、おそらく悶々としていた。

 

一方、元気な右脳は考えていた。

「ま、なんとかなる」と。

 

不謹慎な右脳である。

 

だけどそんな右脳だから、考えたのだ。

不謹慎にも考えることができたのだ。

前向きに、考えられたのだ。

「もしかしたらみんなの役に立てるかもしれない」

 

ま、ほんとうは脳がどうなっているかはわからない。

わからないけど、

私は2名の新入社員と向き合った。

新入社員の文章と、向き合った。

あ、加えて上司のNさん。

 

毎月、課題にそって文章が提出された。

私はメールで受け取った。

それを読む。

読んで、気になるところを指摘する。

その指摘は、“添削”というかたちで本人たちに返される。

 

さて、そこからが『ツタブン』らしさ。

“添削”した文章は、本人だけでなくメンバー全員に渡る。

メンバー全員にオールメールで返される。

つまり“添削”は、メンバー全員で共有する。

 

これは10年前、『ツタブン』を始めたときからの“伝統”である。

 

文章は、プライベートなものではない。

“人に読んでもらう”ことで使命を果たすコミュニケーション・ツール。

ならば、

堂々と読んでもらおう。

他人に読んでもらおう。

 

たとえどんなに稚拙であったとしても、書いた文章は人に読んでもらう。

恥ずかしいかもしれないが、読んでもらう。

他人の眼が入ることで、文章は鍛えられる。

他人が評することで、文章はうまくなる。

 

そう思っていた。

 

 

2名の新入社員とNさんは、積極的だった。

同期同士、仲がよかったのかも知れない。

さらに、上司(Nさん)との関係がうまくいっていたのかも知れない。

 

とにかく3人は、締め切りに遅れることもなく課題を提出してくれた。

3人そろって提出してくれた。

しかも毎回、“添削”をたのしみにしてくれていた。

 

私が“添削”でいちばん気をつけていたこと。

それは

“一文を短く”すること。

 

長くても、意味のある文章はたくさんある。

短くなくても、ステキな文章はたくさんある。

しかも“一文を短く”することだけで“添削”ができるわけではない。

 

それでも私は“一文を短く”することにこだわった。

 

なぜか。

 

 “一文を短く”したほうが読みやすくなるからだ。

​読みやすくなる、と確信しているからだ。

 

だから提出された文章で、一文が長いと感じたら直す。

短くする。

 

基本は一文に2つ以上の内容が入っていたら、文章を分ける。

 

たとえば新入社員の最初の課題。

その1行目。

(なんども引用して申し訳ないけど・・・)

 

お母さんが買ってくれた真っ黒のリクルートスーツで街を歩き回った日々から一年。

 

典型的な“長文”である。

一文に2つ、いや3つの内容が入っている。

だから直す。

 

去年も、スーツを着込んで街を歩いた。

母が買ってくれた真っ黒なリクルートスーツで、街を歩いた。

あれから一年。

 

こんな感じで毎月、“添削”をつづけた。

“添削”だけでなく、

3名のメンバー(私は彼らを“2期生”と呼んだ)への“総評”もつけて返した。

 

そうやって“添削”をつづけて3カ月。

3人の文章が変わってきた。

 

“一文を短く”だけで変わったわけではない。

なんと、2期生は自ら文章をたのしみはじめたのだ。

わずか800字という制限のなか、

ほとんど小説のような文章を書き始めたのだ。

しかも上質な小説。

超短編小説。

これには驚いた。

とくに新入社員の2人が、競い合うように“小説”を書いた。

 

Nさんはひとり、蚊帳の外。

(いや彼もいい味を出していた。“自虐ネタ”という味を・・・笑)

 

彼女たち(2人とも女性だった)はその後も“小説”を書きつづけた。

 

だから私は“小説”を添削することとなった。

 

“小説”という形式だと、一文が長くなることもある。

だけど私は“添削”した。

どんな形式だろうと“添削”した。

思い切って“添削”した。

容赦なく“添削”した。

確信的に“添削”した。

 

いつしか私は彼女たちと“勝負”をしていた。

そんな気がする。

 

『ツタブン』に参加する前から文章が好きだった2人。

おそらく個人的に“小説”のような文章を書いてきた2人。

 

一方、

脳出血からなんとか復活するための“練習”に臨んでいた私。

その“勝負”。

単に文章の“添削”にとどまらない“勝負”。

それが私のリハビリにどれほど効果を発揮したか・・・

 

私は2期生3人にお礼を言いたい。

返す返すお礼を言いたい。

 

そうやって10年ぶりの『ツタブン』が終わった。

“2期生”は半年以上にわたって私の“添削”につきあってくれた。

そしてそれは私にとって、もうひとつの『文章のリハビリ』であった。

 

その翌年のことである。

2019年の春。

私はNさんから再びオファーをもらうことになる。

 

「ツタブン、今年もやりませんか?」