脳が
どこかに・・・
会社への“恩返し”
新入社員の文章を“添削”した時、
私は“手応え”を感じていた。
●
さすがにあの“添削”は「やりすぎ」だった。
元の文章、
新人の、オリジナルの文章が壊されている。
“添削者”としてはNG、失格だ。
それはわかっていた。
というか、
それが“わかった”ということが“成果”だ。
“練習”の、ひとつの成果。
でも、
新人にとってはたまったものではない。
(きっと)
ほんとにゴメンナサイ。
ただ、
私はその、最初の“添削”で
“手応え”を感じていた。
「もしかしたらみんなの役に立てるかもしれない」
●
私は退院後、会社に復帰した。
退院日は2017年6月16日。金曜日。
その翌週の月曜日から出社した。
“監査役”として復帰した。
だが、それはじゅうぶんな復帰ではなかった。
まったく、じゅうぶんではなかった。
まず、毎日出社ができない。
しかも滞在時間が少ない。
それでも“監査役”としての会議はすべて出席した。
だが、居るだけだった。
いや、頭の中では考えている。
いろんなことを考えてはいるのだ。
ただ、その内容を口にすることができない。
会議でしゃべることがあっても
内容はその場でPCに入力(左手1本で)し、それを読んだ。
当然、タイミングはズレる。
当意即妙とはならない。
しかもその読み方はたどたどしく、
会議の場にはそぐわなかった。
“監査役”の任期が切れれば、更新はない。
それは覚悟していた。
いやそもそも“監査役”の仕事に、
そのまま就かせてくれている会社に感謝していた。
その恩に、なんとかして報いたい。
だけど・・・
ま、明るい見通しは皆無だった。
ただ、私の“脳”は弱っていた。
だから長くは考えられない。
深くも考えられない。
だからあんまり考えない。
結局、私を救っているのは“脳”なのかも知れない。
“脳”が弱ってるから、あまり考えない。
うん。
やはりそれで救われてる。
“脳”が弱っている。
それを前提に考える。
その結果、
自分に都合のよい発想が生まれてくる。
「もしかしたらみんなの役に立てるかもしれない」
●
“監査役”を終えたあと、
私は何で役に立てるか。
何をもって会社に恩返しできるか。
その、ひとつのきっかけ。
こんな私でも役に立てること。
それが“添削”だった。
セイファートは毎年、新卒を採用している。
ということは毎年、新人が入ってくる。
その新人の文章を“添削”する。
新人の文章を、
社会人として通用するように変える。
整える。
じつは大卒でも、文章を学んだ人は少ない。
経済や法を学んだ人は多いが、文章はそれほど学んではいない。
文学部を卒業していてる人も、
“文学”は学んでいても“文章”は学んでいるかどうか。
いや私は大学を卒業してはいないので、偉そうなことは言えないが。
でも新卒者に毎年、
研修をしてきた経験上・・・
あっ。
そうだ。
思い出した。
いま思い出した。
じつは私、講師として毎年、新入社員研修の一部を担ってきたのだ。
しかも“文章”の講師として。
それを思い出した。
だが、それはいつごろのことだ。
その内容は・・・
思い出せない。
はっきりとは思い出せない。
病気を境に、記憶がところどころ消えている。
だが、これだけははっきりと思い出した。
“私は講師として毎年、新入社員研修の一部を担ってきた”
だから思えたのだ。
臆面もなく思ったのだ。
「もしかしたらみんなの役に立てるかもしれない」
(今回はちょっと短いですが、来週につづきます。いま『ツタブン』の添削がまさに佳境に入っていますので、スミマセン)