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情けも容赦もない“添削”

 

 

そうやって『ツタブン』はスタートした。

 

最初の『ツタブン』。

参加者は3名だった。

入社1年目の社員2名と、その上司(Nさん)である。

 

約半年間、私は“課題”を出し、“添削”した。

 

“添削”。

 

2008年くらいに一度、やったことがある。

『伝わる文章研究会』=『ツタブン』。

それがもともとのスタートである。

そのときを“1期生”とするなら、今回は“第2期生”。

ほぼ10年ぶりの復活だった。

 

久しぶりの“添削”。

 

そういえばこの『extra』の

9話『人生を懸けた“練習”』に私はこう書いている。

 

人の文章を添削することで、もう一度、文章を学び直せる(かもしれない)

 

と同時に

 

添削する行為が、文章に関与する“脳”を刺激する(かもしれない)

 

 

つまり“添削”は、まさに“練習”となったのだ。

 

 

たとえば最初の“課題”。

私は参加者3名に課題を出した。

 

「あなたが入社した会社(セイファート)のことを400w以内で書いてください。」

 

3名のうち、ひとりから提出された文章。

その最初の1行がこうだ。

 

お母さんが買ってくれた真っ黒のリクルートスーツで街を歩き回った日々から一年。

 

いきなり私は“試練”にさらされる。

 

文章としてはまとまっている。

しかも意表をつく書き出しだ。

 

ふつう、新人が「自分が入社した会社」のことを書く場合、どう書くか。

 

たとえば

 

私が入社したセイファートは・・・

とか

 

セイファートは美容師さんの求人情報を扱う・・・

とか

 

そういう文章になるだろう、と思っていた。

 

ところがその社員は、ちがった。

 

お母さんが買ってくれた真っ黒のリクルートスーツで街を歩き回った日々から一年。

 

ま、「お母さん」はちょっと、社会人としてはNGだけど、でも書き出しとしては魅力的だ。

この後、どうなるのか、興味津々・・・

 

たしかにそうだ。興味津々・・・

だけど・・・

私の役割は“添削”である。

だから頭の中を切り替えないと・・・

 

そうやって私の“練習”(ツタブン)はスタートした。

 

私には文章の“弱点”が見えていた。

 

いや、そのまま流してもいい。

「よくできました!」と、返してもいい。

でもあえて“添削”するならば・・・

 

“一文が、長い”

 

しかも文章の最初の1行目である。

それが長い。

これは致命的だ。(と今でも私は思ってる)

 

私は迷わず直した。

 

去年も、スーツを着込んで街を歩いた。

母が買ってくれた真っ黒なリクルートスーツで、街を歩いた。

あれから一年。

 

1つの文章を、3つに分けた。

 

 

私はその1行で、思い出していた。

“添削”とは何だったのか・・・

 

私の“添削”とは、文章を読みやすくすることだ。

その1点に尽きる。

 

文章がうまいとか、かっこいいとか、

そんなことをめざす“添削”ではない。

そういう能力は、ざんねんながら私にはない。

でも読みやすくすることはできる。

できると思っている。

だから私の、つまり『ツタブン』の“添削”は

読みやすくすること。

 

その社員はつづけて書く。

 

大きく変わったことといえば、銀座の街を堂々と、自分で買ったグレーのスーツで歩けるようになったことでしょうか。

銀座の美容室を回っているだなんてお洒落な響きだけど、毎日汗を流しながら必死です。

私は、自分にしか出来ない仕事が出来ることが自分にとっての良い会社だと思っています。

 

やっぱりいい文章だ。

でも、私は“添削”する。

 

いま、私は自分で買ったグレーのスーツで街を歩く。

しかもその街は、銀座だ。

 

「銀座の美容室がクライアントです」。

なんてお洒落な響き・・・。

だけど本人は必死だ。

まいにち汗を流しながら、

ときには冷や汗もかきながら、必死でお客さまの要望を聞いている。

そして文章は佳境に入ってくる。

 

(新人の文章)

入社してから今日まで、お客様と私との会話やお客様からの期待、また頭をひねって完成させる原稿は、私がこの会社に採用されていなければ、この世には生まれていません。

 

うーん。
いい。

でもやはり“一文が、長い”。

そこで

 

私がつくる広告。

お客さまとの会話。お客さまの要望。そしてお客さまからの期待。

それらすべてを練り込んで、頭をひねって提案する。

そうやって完成させる広告は、私がいなければ世に出ることはない。

私がこの会社に採用されていなければ、この世には生まれていない。

だから・・・。

 

で、最後を社員はこう締めた。

 

そう感じる事が出来る今、私の就職活動は間違っていなかったと一年越しに答えが見つかりました。

 

それを私は

 

リクルートスーツからちょうど一年。

いま、私は堂々と言える。

「私の就職活動は間違っていなかった」と。

 

 

ちょっとやりすぎだと思う。

いま思えば、やりすぎ。​

入社1年目の新人がかわいそう。

 

ゴメンナサイ。

 

どうやら私は“脳”全開で

この文章に取り組んでいたようだ。

しかし・・・

“添削”としては、やはりやりすぎ。

もはや“添削”の域を超えてる。

 

でも・・・

申し訳ないと思いつつも・・・

一方で私は“手応え”を感じていた。

 

(この後はまた来週。で、付録ですが、“社員のもともとのオリジナル文章”と、“添削後の文章”を載せておきます。著作権の問題は当の本人に確認しており、クリアしてます)

 

 

「スーツと銀座」

 

お母さんが買ってくれた真っ黒のリクルートスーツで街を歩き回った日々から一年。

大きく変わったことといえば、銀座の街を堂々と、自分で買ったグレーのスーツで歩けるようになったことでしょうか。

銀座の美容室を回っているだなんてお洒落な響きだけど、毎日汗を流しながら必死です。

私は、自分にしか出来ない仕事が出来ることが自分にとっての良い会社だと思っています。

入社してから今日まで、お客様と私との会話やお客様からの期待、また頭をひねって完成させる原稿は、私がこの会社に採用されていなければ、この世には生まれていません。

そう感じる事が出来る今、私の就職活動は間違っていなかったと一年越しに答えが見つかりました。

 

(297w)

 

 

 

 

“添削後の文章”

 

去年も、スーツを着込んで街を歩いた。

母が買ってくれた真っ黒なリクルートスーツで、街を歩いた。

 

あれから一年。

いま、私は自分で買ったグレーのスーツで街を歩く。

しかもその街は、銀座だ。

 

「銀座の美容室がクライアントです」。

なんてお洒落な響き・・・。

だけど本人は必死だ。

まいにち汗を流しながら、

ときには冷や汗もかきながら、必死でお客さまの要望を聞いている。

 

自分にしかできないことをやること。

またそれができる会社。それが良い会社。

だとするならば・・・

私がつくる広告。

お客さまとの会話。お客さまの要望。そしてお客さまからの期待。

それらすべてを練り込んで、頭をひねって提案する。

そうやって完成させる広告は、私がいなければ世に出ることはない。

私がこの会社に採用されていなければ、この世には生まれていない。

だから・・・。

 

リクルートスーツからちょうど一年。

いま、私は堂々と言える。

「私の就職活動は間違っていなかった」と。

 

(399w)

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