脳が
どこかに・・・
『ナオコ先生』
前回の終わりに“歯科医”の話をした。
「次回そのリポートを書く」と。
ナオコ歯科。
正式には『デンタルケア ナオコ歯科』。
私が通うようになったのは、この病気になってからである。
ナオコ先生は『ひろの亭』の常連仲間であった。
だが、病気の前はそれ以上の付き合いはなかった。
私には、歯医者の診療を受けるニーズがなかったのだ。
だからただの呑み仲間である。
でも歯科医の先生であることは知っていた。
よって彼女を呼ぶときは「ナオコ先生」である。
その「ナオコ先生」が、
呑み友だちから一気に「歯科医」へと変身するときがやってきた。
私の“脳出血”である。
入院中、先生は私に噛み合わせを矯正する道具を届けてくれた。
「きっと歯が、リハビリに役立つ」。
そう考えての贈り物だった。
しかし私の主眼は、右半身麻痺だった。
失語症だった。
それだけでお腹いっぱい。
加えて“歯”なんて・・・
ただ、「ナオコ先生」はよく言っていた。
“歯医者は歯を治すためだけにいるわけではない”
そういえば『ひろの亭』で呑んだとき、よく言っていた。
退院後、私は「ナオコ先生」の元に直行した。
歯が痛くなったわけではない。
歯磨きが、どうしてもうまくいかなかったのだ。
私は麻痺のため右手が使えない。
よって歯を磨くのも左手だ。
利き腕は右。
つまり左で磨くのは初めて。
当然、うまく磨けない。
入院中、約7カ月。
私はおぼつかない左手で歯を磨いた。
それなりに磨けるようにはなった。
だからもし「ナオコ先生」がいなかったら、そのままである。
ケアなどきっとしなかっただろう。
汚れなんてさほど気にしない。
だってもう六十が近い。
いまさら見た目を気にしたって、どうなるものでもない・・・
その結果がどうなっていたか。
つまりそのままケアせず、歯を放っておいたら・・・
どうなっていたかは、わからない。
だけど「ナオコ先生」がいた。
私は「ナオコ先生」を知っていた。
だから直行したのだ。
「歯・・・きれいに・・・してください」
失語症の私は、なんとか伝えた。
先生はまず、歯をクリーニングしてくれた。
しかも今後は3カ月に一度、定期的にクリーニングしてくれることになった。
さらに私の歯を診て、マウスピースをすることを勧めてくれた。
どうやら私は“歯ぎしり”してるようだった。
もちろん自分では気づかない。
それに加えて、『デンタルリフレクソロジー』である。
“歯医者は歯を治すためだけにいるわけではない”
それをまともに実感させてくれたのが、
『デンタルリフレクソロジー』であった。
●
私は椅子に座り、目を閉じ、口を少しだけ開けていた。
背もたれは深く傾斜している。
同時に足の位置は高くなっている。
つまり椅子の上に寝ている状態だ。
ま、歯医者の診療と同じ体勢である。
最初に後頭部を少し触られる。
右手と左手で、後頭部から顔の両側に軽く触れる。
その手の感覚で、私は左右の違いを感じた。
右の方が小さく感じるのだ。
首筋から右の耳までがすべて、小さい・・・?
どういうことだ?
そう思ってるうちに今度は“歯茎”である。
まず左側の歯茎から・・・
治療をしてくれるのは丸山さん。
ナオコ歯科の歯科衛生士であり、エステティシャンだ。
彼女は手袋をして歯茎にそーっと触れる。
その触れ方があまりにも軽いため、「これでホントに効くのか」と。
それくらい、そーっと、である。
だがその疑問を口にする間もなく、私は(不覚にも?)眠ってしまった。
あとで聞くと、「歯茎の反射区トリートメント」だと丸山さんは言った。
歯茎の反射区?
顔にはたくさんの筋肉がある。
入り組んでると言ってもいいくらいだ。
その筋肉が、歯茎にまで・・・
自宅に帰ってから、
私は“ナオコ歯科”のウェブサイトを見てみた。
あった。
「歯茎の反射区」
上下の歯のイラストに、それぞれ“反射区”が描かれている。
たとえば上の奥歯の右側は“首”。
そこから前歯に至るまでに、“腕”“足裏”。
下の奥歯には“肩”。
前歯に至るまでに“頬筋”“目”・・・
ちょうどマッサージでいう“ツボ”の一覧である。
しかしマッサージと異なるのは、その“ちから加減”。
マッサージの経験はある。
それに比べると極端に弱い。
さきほど言ったように、「そーっと」である。
触れるか触れないか。
そのくらい「そーっと」。
だけどその「そーっと」がいいのだ。
丸山さんは言った。
「触れる感じでいいんです。強くする必要はありません。ましてや痛いなんて、とんでもない」
それが「歯茎の反射区トリートメント」だと言うのだ。
そういえば、彼女は「マッサージ」というコトバは使わない。
あくまでも「トリートメント」だ。
ただ、その話はすべて終わった後。
なぜなら私はぐっすりと眠ってしまったからである。
目が覚めると、“トリートメント”は再び後頭部に移っていた。
丸山さんは私の頭をゆっくりと触っている。
やがて頭の向きを右へと変える。
さらに左へ。
(あ〜、右に動かすとまだちょっと抵抗があるかな)
私はそんなことを思いながら、頭を丸山さんに委ねていた。
彼女は後頭部から耳、
首筋から胸の上部に至るまでをていねいに“トリートメント”していた。
ふいに、身体の内奥からある感情が出現して、戸惑った。
笑い、である。
私はおもわず笑いそうになった。
「あ〜これだよな〜この感覚・・・」
私は思いだしていたのだ。
まだ、コロナウィルスが生活を乱す前。
いまから半年ほど前。
私は丸山さんの“トリートメント”を受けていた。
そして、その効果に驚愕したのだ。
「声が、コトバが、ふつうに出てくる」
「なんで?」
「失語症は・・・?」
今までのだれよりも、
もちろんリハビリの先生よりも言語聴覚士の先生よりも、
私の「失語症」を改善してくれたのだ。
噴出する感情は、そのときのことを思い出したからだ。
私は思ったのだ。
心の底から思ったのだ。
「あ〜これでまたしゃべれる」
「心置きなく、自由にしゃべれる」
そう思ったら、おもわず笑いが出てくるのであった。