脳が
どこかに・・・
1983年のコピーライター
なぜ、“一文を短く”なのか。
最初はそのテーマに取り組むつもりだった。
少しなら、読者のみなさんも赦してくれるだろう。
そんな(甘えた)気持ちもあった。
なにしろ『extra』なのだ・・・
“余分な”文章なのだ・・・
ゴメンナサイ。
でもどうやらこのテーマ、かなり“長く”なりそうだ。
なにしろ私がライターになったころ、
いやライターをめざしていたころの話から始まっている。
あ、“始めた”のはこの私ですが・・・
スミマセン。
今回も“昔”の話です。
しかもずいぶん“昔”。
37年も前。
1983年の話です。
●
私は文章の修業をしたことがない。
先生について教わったことがない。
大学で講義を受けた経験もない。
強いて挙げればたくさんの本を読んだくらい。
だけどそれも人に誇れるほどではない。
でも書きたかった。
それで何か悪いか。どこか間違っているか。そう思っていた。
ま、開き直りである。(すみません)
ただ、私には妙な自信があった。
それは「読んでくれれば伝わる」。
なぜなら私が「読んで」いるからだ。
何度も読み返しているからだ。
読み返して修正を重ねているからだ。
私は「書く」ことよりも、「読む」ことを重視していた。
書く時間より、読むことに時間をかけた。
つまり私は書き手よりもむしろ「読み手」として存在する。
そこからスタートした。
だって「読む」人がおもしろくなければ伝わらないじゃん。
だから私はコピーを書いてもそのまま提出はしない。
まず「読み手」の私が納得しないと提出しない。
逆に言えば「読み手」の私が納得したもののみが、私のコピーとなる。
なのに読まないとは、どーゆうことだ!
25歳の私は怒っていた。
●
私はなにを書いてるんだろう・・・
それにしても若い。そして、青い。
自分中心主義。
どこかの大統領のようだ。
で、まだつづく。
●
私の“コピー”は長かった。
とても“コピー”とは言えない代物だった。
今はわかる。
いや、当時もわかっていた。
「長い」・・・
「コピーは短く」
それは鉄則だった。
なぜか。
広告は“素通り”の文化だ。
だれも立ち止まってはくれない。
ポスターも看板も“素通り”。
テレビやラジオも、新聞も雑誌も“素通り”。
コピーを「読む」ことなどもってのほか。
だからまずデザインや写真。
そのインパクトが一番。
なんといってもビジュアルが勝負。
そう言ってはばからないディレクターやデザイナーもいた。
でも・・・
私は思っていた。
コピーには大きな役割がある、と。
私は営業マンだった。
まだコピーライターではない。
ただ、ほんの数カ月の、にわか勉強ではあるが心の中で思っていた。
「コピーは人を動かす」
リクルートは当時、求人広告の会社だった。
いわゆる“リクルートブック”という大量の就職情報を、大学生のもとに送り込んだ。
企業は“リクルートブック”に大金をかけて採用広告を掲載した。
そのひとつひとつの広告を営業し、制作する。
そのなかにあって、やはり“コピー”は重要だった。
広告は、
少なくとも求人広告の世界では、
“素通り”の文化ではなかった。
たとえばコピーは「商品を購入する」という行動に導く。
求人広告であれば「入社する」という行動に結びつける。
コピーを「読んで」その会社に興味を持つ。
コピーを「読んだ」人が入社に至ることもある。
だから・・・
私は“コピーライター”という職業に惹かれた。
なんとか早く(ますます早く)コピーライターになりたかった。
だが、私は営業マンだった。
しかも売れない営業マン。
同じ時期に入った大学生は、すいすいと業績を上げていく。
私は上がらない。
営業所のマネージャーからは何度も呼び出された。
「岡さん、あなたを採用するのにいくらかかってるか知ってますか?」
「えっ。いや、わかりません」
「300万ですよ。あなたを採用するために300万。せめてそれくらいは稼いでくれないと」
なるほど・・・
さすがに求人広告の会社である。
人の業績を採用費から考える
・・・なんて言ってる場合ではない。
もしかしたらクビ・・・?
いや、そういうわけにはいかない。
目標ができたんだ。
コピーライター。
おれはここでコピーライターになる。
ここで“3年の経験”を積むんだ。
いまクビになるわけにはいかない。
●
目の色が変わった。
まずはアポ取り。
電話で面会の約束を取り付けるアポイントメント。
相手は企業の社長だ。
間違っても「担当者」にアポを取ってはいけない。
なぜなら担当者には「決裁権」がない。
よって社長以外のアポは「イモアポ」などと呼んでいた。
だから社長。あくまでも社長。
私は分厚い“会社年鑑”などをリストにして、
かたっぱしから電話をかけつづけた。
「日本リクルートセンターと申します」
「えっ? レクリエーション?」
「なに? ヤクルト?」
知名度は当時、そんなものだ。
それでもかけた。
「社長を、お願いします」
ま、社長アポなんて取れるわけがない。
断られる。
落ち込む。
でも、かける。
次のリストに電話をかける。
すると3日に1社くらいだろうか、
「話を聞いてもいい」という社長が出てくるのだ。
●
あれは暑い夏の日だった。
私はある社長のもとへ赴いた。
まさに「話を聞いてもいい」と言われた社長である。
私は、しかし全く別の思いを抱いて訪問していた。
「私が話を聞く」
ま、インタビューである。
私はどんな会社でも「社長の話を聞く」ことを重視していた。
自分の営業よりも、社長の話を聞く。
それはなぜか。
私が「コピーライター」だから・・・
(もちろんだれも認めちゃいないが)
●
今回はここまでにします。
来週も、つづきます。